丹後稲荷神社。伊原丹後守家の裏鬼門に創建
丹後稲荷神社の概要
丹後稲荷神社は、三郷市早稲田にある神社です。丹後稲荷神社は、元和元年(1615)創建、口碑では、当地を開発した伊原丹後守家の裏鬼門として祀られたと伝えられます。明和7年(1770)稲荷社を公称したといいます。明治5年村社に列格していました。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 天満宮・天照皇太宮 |
祭日 | 初午祭、お日待祭り10月15日 |
住所 | 三郷市早稲田8-17-8 |
備考 | - |
丹後稲荷神社の由緒
丹後稲荷神社は、元和元年(1615)創建、口碑では、当地を開発した伊原丹後守家の裏鬼門として祀られたと伝えられます。明和7年(1770)稲荷社を公称したといいます。明治5年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による丹後稲荷神社の由緒
(丹後村)稲荷社二
何も庵ありて守る、庵の本尊は弥陀なり、以上三社光福院の持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による丹後稲荷神社の由緒
稲荷神社
当社は倉稲魂命を祀り、昔から「丹後の稲荷様」として親しまれている。境内には、形の良い松の大木が幾本も茂り、その木立に囲まれて朱塗りの社殿がひときわ彩りよく」参詣者の目を引きつける。
『明細帳』は、当社の由緒について「元和元年(一六一五)二月創立明和七年(一七七〇)九月公称」と述べ、続けて明治五年二月に村社となり、同四十三年から大正元年にかけて、当時の早稲田村の村内にあった諸社(無格社二、村社四。現在は六社とも旧地に戻っている)を合祀した旨を記している。
一方、氏子の問の口碑によると、当社はそもそも氏子の伊原信治郎家の先祖がこの地を開発して邸を構えた際に、その表鬼門に氏神として創建した社であったが、村が大きくなるにつれて、いつしか村人が鎮守として奉斎するに至ったという。鎮座地の旧地名である丹後は、村を開いた伊原丹後の名を取って付けられたもので、伊原信治郎家はその末裔に当たることや、同家の裏鬼門にも小祠が祀られていることから察すると、この口碑は十分うなずけるものと言えよう。
内陣には、宝永四年銘の稲荷大明神座像をはじめとする神像三体、明和七年に伏見稲荷から受けた分霊証書及び神璽などが納められており、当社の歩んできた歴史の一端を示している。なお、当社は近世においては光福院の管理で、明治以降は鈴木家が祀職である。(「埼玉の神社」より)
丹後稲荷神社所蔵の文化財
- 萬葉遺跡葛飾早稲発祥の歌碑
丹後稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」