白子諏訪神社。和光市白子の神社

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白子諏訪神社。平安時代末期頃に建御名方命を祀ったと伝承

白子諏訪神社の概要

白子諏訪神社は、和光市白子にある諏訪神社です。白子諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、平安時代の末期頃に建御名方命を祀ったと伝承され、江戸時代中期に流行った疫病に効験があったことから悪病除けと子育ての神様として崇敬されていたといいます。明治40年白子熊野神社に合祀されたものの、白子の宿・坂上地区を中心に祀られています。

白子諏訪神社
白子諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 建御名方神
相殿 -
境内社 稲荷社
祭日 大祭7月26日
住所 和光市白子2-13-1
備考 -



白子諏訪神社の由緒

白子諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、平安時代の末期頃に建御名方命を祀ったと伝承され、江戸時代中期に流行った疫病に効験があったことから悪病除けと子育ての神様として崇敬されていたといいます。明治40年白子熊野神社に合祀されたものの、白子の宿・坂上地区を中心に祀られています。

新編武蔵風土記稿による白子諏訪神社の由緒

(下白子村)諏訪社
宿の西御林の中にあり、社は四尺に六尺、村民の持。(新編武蔵風土記稿より)

「和光市史民俗篇」による白子諏訪神社の由緒

諏訪神社
現在、オリンピック道路と国道二五四号線の交差点の脇に社地があるが、これは古くは『新編武蔵風土記稿』も「諏訪社 宿の西御林の中にあり」と記すように、もと諏訪山と呼ばれた山林の中、ちょうど現在の国立病院の近くにあった。それがのちこちらに移されて、ちょうと現在の交差点の陸橋のあたりにあったが、二五四号線工事で道路にかかったので現在地へうつしたという。厄除けの神様としてたいへん御利益があるといって、古くから近郷に知られたが、この神社にはおよそ次のような言い伝えがある。
平安時代の末のころ、このあたりの人が社をつくり建御名方命を祀った。江戸中期になって白子宿に悪い病気が蔓延した。その時、村の人たちはこの神社に疫病平癒の祈願をしたところ、たちまちのうちにすっかりなおってしまった。また、この神様はとても子供好きの神様でよく蛇に姿をかえて近所の子供たちと遊んでいた。そんなわけで、悪病除けと子育ての神様として、人々の信仰があつい。また、この神社の祭礼は毎年七月二六日、二七日で二六日がヨミヤである。ふつう諏訪神社の祭礼はみんな八月なのに、ここだけは七月にしているというのにはわけがあり、そのむかし、村にはやり病があった時、八月にできずに七月にしたからだという。そしてその時、神社に祈願するにもむかしの農家のこととて何も神様へあげるものがない。そこでナスをあげてもって帰って食べたら病気がなおった。それでこの諏訪神社の紋章はナスの紋章となっており、今でも近郷のおよそ三里四方の農家では、みんなその年にはじめてとれたナスをあげて悪病にかからぬように祈願したのち、供えた半分のナスをもち帰って家中でこれを食べる。また、この神社の御神体は銅鏡であるが、これはむかし、諏訪山のおよそ四町八反の土地を開墾して畑にした時、土中から発見されたもので、これを機に明治七年に社殿を建てかえてまつった。(「和光市史民俗篇」より)


白子諏訪神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿