中馬場諏訪神社。八潮市中央の神社

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中馬場諏訪神社。信濃国出身の高梨監物仲光が鎮守として奉斎

中馬場諏訪神社の概要

中馬場諏訪神社は、八潮市中央にある諏訪神社です。中馬場諏訪神社の創建年代は不詳ですが、信濃国の住人高梨監物仲光が当地に移住、妙光寺日正上人に信濃の氏神諏訪大明神を祀りたいと願い、延徳3年(1491)当地鎮守として奉斎したといいます。近年山王権現を合祀したものと思われます。

中馬場諏訪神社
中馬場諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 建御名方神
相殿 -
境内社 三峯神社
祭日 -
住所 八潮市中央3-32-10
備考 -



中馬場諏訪神社の由緒

中馬場諏訪神社の創建年代は不詳ですが、信濃国の住人高梨監物仲光が当地に移住、妙光寺日正上人に信濃の氏神諏訪大明神を祀りたいと願い、延徳3年(1491)当地鎮守として奉斎したといいます。

新編武蔵風土記稿による中馬場諏訪神社の由緒

(中馬場村)
諏訪社
村の鎮守なり、妙光寺の持、同寺に蔵する社傳あり、其略に信濃国の住人高梨監物仲光は、國の乱を避て當所に来り、堀切監物と改め當寺の檀越となれり。されば己が氏神、本國諏訪明神の像寸餘なるを懐にし、年来信仰せしに妙光寺開山日正が彫刻せる諏訪の神像ありしをもて、彼寸餘の像を其腹籠となし、ここに社を建て、永く當所の鎮守となせり、これ延徳三年正月廿七日のことにして、後永禄年中天照大神・八幡の二座を合祀せる由を載す。此監物が子孫今は絶し故、かの地には其分家残れりと云。
末社。稲荷社。
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山王社
上馬場村観音寺の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による中馬場諏訪神社の由緒

諏訪神社<八潮市中央三-三二-一〇(中馬場字屋敷)>
中馬場の地内にある妙光寺は、文明三年(一四七一)に日正上人が草創した日蓮宗の古刹である。
当社の創建は、この妙光寺とかかわる。地内の石井家所蔵の、「諏訪大明神略縁起」によれば、信濃国の住人高梨監物仲光が戦乱を避けて当地に至り、ある家に宿を求めた。その家の妻が難産で苦しんでいたため、監物が肌守りを出して安置し、一心に祈るや神瑞あって無事出産できた。神威を感じた監物は、この地に土着し堀切監物と改名し、妙光寺の檀越となった。監物は、懐中してきた氏神の諏訪明神像を祀りたい旨を日正上人に伝えると、上人は自ら諏訪明神像を彫刻し、先の像をその胎内に納め、延徳三年(一四九一)正月二十七日に当地の鎮守として奉斎した。その後、永禄年中(一五五八-六九)に信州の諏訪大明神に倣い、天照大神と八幡の二座を脇立として祀った。
高梨監物が持って来た諏訪明神像は、現在でも妙光寺にあり、高さ三・三センチメートルの銅製の座像で鎌倉時代のものと推定されている。また、同寺には、このほかに正徳五年(一七一五)銘の諏訪大明神像、明暦三年(一六五七)銘の天照大神像、延宝五年(一六七七)銘の僧形八幡神像があり、いずれも明治初年の神仏分離により当社の本殿から移されたものである。一方、当社に奉安されている諏訪大明神像は、昭和五十一年に彫刻家・麦倉忠彦氏により新たに制作されたものである。(「埼玉の神社」より)


中馬場諏訪神社の周辺図