野沢稲荷神社|世田谷区野沢の神社

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野沢稲荷神社|世田谷区野沢の神社

野沢稲荷神社の概要

野沢稲荷神社は、世田谷区野沢にある稲荷神社です。野沢稲荷神社の創建年代は不詳ですが、境内に残されている庚申塔に元禄8年(1695)と刻されていることから、江戸時代中期には野沢が村として成立しており、野沢村の鎮守社であったといいます。

野沢稲荷神社
野沢稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命
境内社 -
相殿 -
祭日 例大祭8月
住所 世田谷区野沢2-2-13
備考 野沢村の鎮守



野沢稲荷神社の由緒

野沢稲荷神社の創建年代は不詳ですが、境内に残されている庚申塔に元禄8年(1695)と刻されていることから、江戸時代中期には野沢が村として成立しており、野沢村の鎮守社であったといいます。

世田谷区教育委員会掲示による野沢稲荷神社の由緒

野沢稲荷神社
祭神 倉稲魂命
野沢稲荷神社は、食物・稲の神霊である倉稲魂命を祭神としている。創建由緒などは不明である。
江戸後期の地誌「新編武蔵国風土記稿」には、当社は野沢村の鎮守で、村の中央に位置していると記されている。
境内には拝殿を付した本殿と神楽殿がある。本殿と拝殿は、棟札から明治三十三年に建造されたことがわかる。また神楽殿は明治末期の建築と推定されている。
境内の北角に庚申塔が祀られている。この石塔には「元禄八年野沢村」と刻まれており、十七世紀末には村が成立していたことを確認できる手がかりとして注目される。(世田谷区教育委員会掲示より)

せたがや社寺と史跡による野沢稲荷神社の由緒

祭神は倉霊魂持神にして稲荷神社と称す。町の中央にあり古くより鎮守の神として尊崇されている。「新編武蔵風土記稿」に「稲荷社除地三畝村ノ中央ニアリ本社九尺ニ一間巽ニ向ヒ拝殿二間ニ三間ヲ建続ク前ニ、鳥居アリ両柱ノ間六尺鎮座ノ年歴ヲ詳ニセズ神躰七寸許木像白狐ニノリ稲穂ヲ持、烏帽子束帯ノ形ナリ当所ノ鎮守二テ祭礼ハ九月十八日神楽ヲ奏ス(以下略)」とある。昔は拝殿といえど拝宮だけであったが明治37年10月拝殿を作り其の後昭和8年に社務所を建設し神楽殿は昔よりの草葺を瓦に葺き替えて建築した。境内敷地約350坪(約1155㎡)あり、祭礼は現在8月日。神社の北隅に間口1m、奥行1.1m、高さ1.5m程のお堂の表に元禄八年十一月吉日と彫刻してある。同一の境内に神社と青面金剛とが鎮座されていることは稲荷神社の創建に関係があるのではないかと推察される。(せたがや社寺と史跡より)

新編武蔵風土記稿による野沢稲荷神社の由緒

(野沢村)稲荷社
除地三畝村の中央にあり、本社九尺に一間、巽に向ひ拝殿二間に三間を建続く、前に鳥居あり、両柱の間六尺鎮座の年歴を詳にせず、神体七寸許木像白狐にのり稲穂を持烏帽子束帯の形なり、当所の鎮守にて祭礼は九月十八日神楽を奏す、社の西に庵あり栄澤庵と云、当社を守る僧ここに居れり、稲荷社の近きあたりに庚申塔あり、除地一畝許。(新編武蔵風土記稿より)


野沢稲荷神社の周辺図