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耕雲寺|世田谷区砧にある曹洞宗寺院

耕雲寺の概要

曹洞宗寺院の耕雲寺は、成城山と号します。耕雲寺は、福山城主(十万石)水野日向守勝成の三男水野十郎左衛門成元の菩提を弔うため、その側室釣月尼が京都導故寺の一之梅林禅師を請じて、安永5年(1776年)耕雲軒と号して新宿区角筈に創建したといいます。昭和20年戦災により焼失、昭和27年当地へ移転したといいます。

耕雲寺
耕雲寺の概要
山号 成城山
院号 -
寺号 耕雲寺
住所 世田谷区砧7-12-22
本尊 釈迦牟尼仏像
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 耕雲寺種月殿
備考 -



耕雲寺の縁起

耕雲寺は、福山城主(十万石)水野日向守勝成の三男水野十郎左衛門成元の菩提を弔うため、その側室釣月尼が京都導故寺の一之梅林禅師を請じて、安永5年(1776年)耕雲軒と号して新宿区角筈に創建したといいます。昭和20年戦災により焼失、昭和27年当地へ移転したといいます。

境内掲示による耕雲寺の縁起

成城山耕雲寺は今からおよそ200年前の安永5年(1776年)3月、新宿区角筈の清浄境に釣月尼が開創建立したものです。釣月尼は旗本の頭領でかの有名な水野十郎左衛門成元の愛妾であった祖母の遺言に従って仏門に帰依し、藩公水野成元が非業の最後をとげたことから、発心出家して『釣月』という法名を頂き、水野十郎成元の菩提を弔うために禅寺の建立を発願したものです。水野成元は、福山城主(十万石)水野日向守勝成の三男で、侠気に富む反骨精神旺盛な武士でしたが、たび重なる幕府に対する反骨により、寛文4年(1664年)3月、切腹を仰せつけられ水野分家は断絶しました。水野本家が尼禅坊を再建に乗り出し、本堂伽藍を造営しました。釣月尼の師、京都北の導故寺二代目住職の一之海琳禅師を請して開山と仰ぎ、耕雲軒(当時の名称)を開創したものです。開びゃく以来新宿角筈(当時の名称)の一遇に草庵をかまえ尼禅坊として、輝かしい伝統と歴史にささえられて来ましたが、昭和20年大東亜戦争の戦禍を受け堂宇が一切焼失したので、戦後第六代現住職芦辺鎌禅師が普住以来、昭和27年世田谷砧(きぬた)の地に移転して再興、当地移転以来山号も成城山と改称しました。自来39年をけみし、平成3年8月、檀信徒の絶大なるご支援とご協力を得て現在の地に新伽藍を建立して移転復興されたものです。(境内掲示より)

せたがや社寺と史跡による耕雲寺の縁起

耕雲寺(砧町41)
成城山耕雲寺といい曹洞宗、本尊は釈迦牟尼仏で、約30cmの木彫立像である。脇侍は普賢、文殊の菩薩。
今より約193年前の安永5年3月、旗本水野十郎左衛門成元の側室釣月尼が京都導故寺の一之梅林禅師を請じて創建したものであるという。新宿角筈の一隅に尼禅坊としてあったが太平洋戦争の災厄にあい、堂宇ことごとく焼失したので昭和27年現在地に再興したものである。本堂には水野氏が念持仏として崇敬の篤かった福徳観音像も安置されている。約20cmの木彫坐像である。地下の御堂には仏舎利が安置してある。墓地は青梅市の天寧寺内にある。(せたがや社寺と史跡より)


耕雲寺の周辺図



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