宝泉寺|渋谷区東にある天台宗寺院、常盤薬師

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恵日山宝泉寺|関東九十一薬師、常盤薬師

宝泉寺の概要

天台宗寺院の宝泉寺は、恵日山薬王院と号します。宝泉寺は、慈覚大師が渋谷氷川神社を参詣した際に当寺を開山、渋谷重本(正応5年1292年没)が開基となり創建、一時退廃したものの、渋谷重本の子孫野崎若狭佐重安が慶長年間(1596-1615)に中興したといいます。当寺の薬師如来像は、伝常盤御前の守護仏で、慈覚大師の作と伝えられ、常盤薬師とも称され、関東九十一薬師霊場12番です。

宝泉寺
宝泉寺の概要
山号 恵日山
院号 薬王院
寺号 宝泉寺
住所 渋谷区東2-6-16
本尊 阿弥陀如来
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 渋谷氷川神社別当、関東九十一薬師霊場12番



宝泉寺の縁起

宝泉寺は、慈覚大師が渋谷氷川神社を参詣した際に当寺を開山、渋谷重本(正応5年1292年没)が開基となり創建、一時退廃したものの、渋谷重本の子孫野崎若狭佐重安が慶長年間(1596-1615)に中興したといいます。

新編武蔵風土記稿による宝泉寺の縁起

渋谷氷川神社別当 宝泉寺
天台宗山王城琳寺末、恵日山薬王院と号す。
慈覚大師の開山なり。開基渋谷重本の碑なりとて境内に建つ。正面に正応5年9月24日と彫のみ、裏に後人の文を刻すと云。渋谷領主渋谷佐重本始て開基す。卒して渋谷院台谷渋蓮と号す、後廃壊せしに、重本か子孫野崎若狭佐重安、慶長年間僧實円を中興として廃れたるを興すと云。按ずるに大師を開山とし重本を開基とすること年代齟齬す、古の事にて傳を誤れるならん。
本尊弥陀立像、脇立観音、勢至を安す、弥陀は恵心の作と云ふ。
寺宝、般若心経一軸、慈覚大師筆。土佐坊昌俊像一体、坐像長1尺4寸。兜一頭、鉢頭形にて、黒漆と錣三枚、威毛菱縫等色分明ならす、是昌俊の着せし物といへと其頃の物とは見へす。鞍一口、普通の鞍に異ならす、惣黒漆前後の輪に蔦の蒔絵あり、是も昌俊の乗鞍と云傳ふ。色紙一枚、義朝の妾常盤、社地の松に附し色紙にて、すなはち自詠自筆なりと云詳なることは既に常盤松の條に見へたり、色紙の圖左の如し。金王桜、金王八幡社の木と同木なり、是も古木は朽て萌葉敷株となれり。強力権現社、相傳ふ、往昔の佳僧某大和国大峯に詣て異僧に逢り、彼僧云、汝賊盗を患ることあらん、此神像を尊信せは其難を免かるへしとて、一体の木像を授く、長5寸5分、其形秋葉権現に似たり、僧の名を問しに強力とのみ答てうせ去ぬ、後年小祠を寺内に建、其像を祀り遂に神号とすと云。
鐘楼、宝暦12年鋳造の鐘をかく。
薬師堂、門外にあり、左馬頭義朝の妾常盤の守護佛と云傳ふ、故に常盤薬師と号す、坐像長3寸許、慈覚大師の作、常盤のことは既に前に弁す。近き頃堂は回録に罹りて再建に及はす、像は仮に客殿に安す。(新編武蔵風土記稿より)

「渋谷区史」による宝泉寺の縁起

寶泉寺(氷川町一〇番地)
慧日山薬王院と称し、江戸時代には、麹町山王の別当觀理院末、氷川明神の別当であつた。慶長以前の古刹であるけれども、創建の年代は詳でない。慶長十年、別当実円の書いた「氷川大明神並寶泉寺縁起」には、嵯峨天皇の弘仁年中慈覚大師円仁が氷川明神に参詣した時に、開基したと見えている。本尊阿彌陀如来。伝恵心僧都源信の作。境内氷川明神を併せて六千八百余坪。明治元年神仏分離の際、氷川明神の別当をやめた。
境内には、強力権現社、薬師堂、弁天堂、鐘楼があつた。強力権現は、文政の書上に、「往年当寺住職之僧(但名不知)大和州、大峯に参詣之節其さま異なる僧にあへり。それが曰、汝盗賊を患ふる事あらん、此神像を尊信せば其難をまぬかるべしとて、一軀の木像を授く。是を見るに、秋葉権現の尊形に似たり。其僧の名を問へば、ただ強力とのみ答て遂に消失ぬ。此故に、小社勧請の後、自然と強力権現と申ならはし候」とあり。薬師堂は、伝常盤御前の守護仏で、慈覚大師の作と伝える薬師像を安置したので、常盤薬師といわれた。文化文政の頃、火災に罹つてから、本堂に移したといい、今に伝わっているが、その外は、総て存していない。常盤御前の伝説は、境内の常盤松に関聯して、発生したものであろう。詳しくは氷川神社の条参照。
本寺には、また金王丸との因縁が結ばれ、境内には金王桜があり、土佐坊昌俊の木像並に昌俊の兜及び乗鞍と称するものをも伝えている。附近に金王八幡があり、金王丸の事蹟が喧伝せられたので、自然縁故を生じたものと思われる。木像は、今も本堂の内に収蔵してあるけれども、兜は鉢金と錣金の一部、鞍は破片のみを存し、旧家野崎善助氏の所有となり、同氏から寺に依托してある。金王桜の事は氷川神社の条に記しておいた。
(不要か)
境内野崎氏の墓域にある石碑は長四尺程の青石で表に
(石碑関連省略)
正応五年九月二十日云々の板碑はもと、附近にあつたものであろうが、野崎氏との関係はなほ調査研究を要する。(「渋谷区史」より)


宝泉寺所蔵の文化財

  • 木造阿弥陀如来立像(渋谷区指定有形文化財)

木造阿弥陀如来立像

本像は当寺の本尊で、ほぼ直立する端正なつくりの阿弥陀如来立像として伝来しています。
お像は針葉樹の一材からつくられていますが、耳の後ろを通る線で前後に割り、その内部を刳り抜いた割矧造という手法が用いられています。
本像は鎌倉時代後期につくられたと考えられますが、当時流行した仏像の眼に水晶をはめ込んだ玉眼という技法は用いずに彫りあげた彫眼とし、螺髪も彫り出してなだらかに整えるなど、洗練された表現が際立っています。
お顔にわずかな整形を加えていますが、当初の像容を損なわずに伝存した本像は、区内に伝わる秀れた鎌倉時代の作例として重要なものです。

宝泉寺の周辺図