願行寺|品川区南品川にある浄土宗寺院

猫の足あとによる東京都寺社案内

即成山願行寺|品川区南品川にある浄土宗寺院

願行寺の概要

浄土宗寺院の願行寺は、即成山光明院と号します。願行寺は、後に鎌倉光明寺第8世となった観譽祐祟日祐上人が寛正3年(1462)に創建、江戸時代には、当寺の住僧諦譽上人東流和尚がしばしば江戸城に呼ばれたことから、馬喰町に地所を拝領、同名の寺(現駒込願行寺)を建立したといいます。境内には承応元年に造立されたしばられ地蔵があります。

願行寺
願行寺の概要
山号 即成山
院号 光明院
寺号 願行寺
住所 品川区南品川2-1-12
本尊 阿弥陀三尊
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



願行寺の縁起

願行寺は、後に鎌倉光明寺第8世となった観譽祐祟日祐上人が寛正3年(1462)に創建、江戸時代には、当寺の住僧諦譽上人東流和尚がしばしば江戸城に呼ばれたことから、馬喰町に地所を拝領、同名の寺(現駒込願行寺)を建立したといいます。

新編武蔵風土記稿による願行寺の縁起

(南品川宿)願行寺
除地六段六畝二十九歩、年貢地五畝十歩、海蔵寺の東隣なり、浄土宗芝増上寺末、既成山光明院と號す、行基菩薩の開基にして、寛正三年観譽祐祟再興す、観譽は上総州の人なり、慶順に投じて薙髪し業を受ること年久し、初同國木更津の地選澤寺を開き、後此寺の中興となり、又駿府寶臺院江尻浄土寺等を創め、後に鎌倉光明寺に住し、明應四年勅に應じ京師に入て十夜の法會許され、天照山の永式とせり、是より十夜の式同宗に行はると云、この餘寺を数ヵ所に開き、永正六年十一月八日寂せり、客殿八間四方東向、本尊阿弥陀は聖徳太子の作、又二十五菩薩を安ず、門は北に向ふ、兩柱の間七尺、江戸駒込願行寺は文禄中現住諦譽東胤、御帰依の僧にて屡營中に上りしに、路遠くして不便なれば願上で御城下にて寺地を賜ふ、別に一寺を創して己開祖となり、當寺をば後住圓達に附属す、故に山號寺號とも皆同じ、後御用地となり駒込に轉ずと云。
鐘楼。門を入て左にあり、正徳元年の鐘をかく。
辨天社。同右にあり稲荷天神を合祀す、社は二間に三間。
石地蔵。客殿の前にあり、立像長五尺、承應元年建立ず、里しばり地蔵と云。病を祈るもの縄にて像をしばれば験あり、十夜に至て和尚其縄を解く、其後又しばる初むと云。
塔中。
顕性院。正聚院。共に木尊弥陀を安ず、この餘長松庵陽月庵芳林庵の三坊は正徳年中廃せりと。
門前町屋。古くより町屋ありしが、元禄十五年回禄の後、舊に因て願上寺社奉行阿部飛騨守正喬許可し、町屋を置延享の度町方の支配となる、間口三十五間半二百八十四坪なり。(新編武蔵風土記稿より)

品川区の文化財による願行寺の縁起

寺伝によれば、寛正3年(1462)の頃、一人の念仏聖が品川の海辺に草庵を結んで念仏を唱えていた。これが当山のはじまりである。それから十年位の後に、開山の観誉祐祟上人が其草庵を今の場所に移して一宇を建立した。
開山の祐祟上人は鎌倉材木座の光明寺第8世に当たり、日本中に三十三箇寺を建立したと云われており、古くから真如堂で行われていた十日十夜の法要を関東に伝えたのである。天台宗の行事を浄土宗に伝えるという事は、その頃としては容易ではなかった。当山はその最初の道場である。
その後寛永年間幕府の侍医法印坂寿三が、将軍義光から賜った隠居地2000歩を縁故の深かった時の住職に寄進し、寺域は倍になった。境内には明治初年まで顕正院など4ヶ寺の末寺があった。元禄と享保の2回にわたり火事によって類焼し、文化年間に再建されたのが現在の本堂である。(「品川区の文化財」より)


願行寺にある品川区文化財

  • 願行寺文書

願行寺文書

願行寺は、鎌倉光明寺8世長蓮社観誉祐宗(1426-1509)によって開創されたが、行基菩薩が開基であるという伝説も残っている。寺伝によると、室町時代末の寛正3年(1462)頃、ひとりの念仏聖が品川の海辺に草庵を結んで念仏を唱えていたが、その後、文明年間(1467-87)末に、開山である観誉祐宗がその草庵を現在地に移して一宇を建立したと伝えている。
同寺の文書は、「十夜縁起」「本尊縁起」に「願行寺古文書」の計3巻18点からなる。そのうちの「十夜縁起」は、浄土信仰における十夜法要に基づくものであり、弘治3年(1557)に編述した縁起を、元禄2年(1889)に知恩院と光明寺に奥書を求めたものである。同縁起には、十夜法要の由来と願行寺の由緒についても記述されており、他の「本尊縁起」や願行寺塔頭の記録を中心とした「願行寺古文書」を含め、近世仏教史上だけでなく地域資料としても貴重である。(平成17年3月31日品川区教育委員会)

境内にあるしばられ地蔵について

今から307年前の承応元年にここへお迎えされた。「願行寺のしばられ地蔵」として新編武蔵風土記にも記されている。宝暦(210年前)から天保(130年前)にかけて松平土佐守奥方が代々帰依してお堂を修建した。
地蔵菩薩の誓願は病や災難や貧に苦しむ者の身代わりとなって苦労を引き受けてやる(代受苦)ということ。だから自分はいつも縄でしばられて功徳は気の毒な人に分け与えておいでになる。願掛けをする者はお首を一つそっと持ち帰って毎日お願いして願いが叶ったらお首を二つにしてお返しをする。
心から慈悲にすがる者には霊験あらたかであった数々の話が伝えられている。(境内掲示より)


願行寺の周辺図