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稲荷鬼王神社|新宿区歌舞伎町の神社、新宿山ノ手七福神の恵比寿神

稲荷鬼王神社の概要

稲荷鬼王神社は、戸塚諏訪神社境内の福瑳稲荷を承応2年(1653)に勧請したといい、天保3年(1832)に当地の百姓田中清右衛門が熊野から勧請した鬼王権現をと合祀して稲荷鬼王神社となったといいます。境内の恵比寿神社(三島神社)は、新宿山ノ手七福神の恵比寿神となっています。

稲荷鬼王神社
稲荷鬼王神社の概要
社号 稲荷鬼王神社
祭神 倉稲魂命、鬼王権現
相殿 -
境内社 三島神社(恵比寿神社)、竈三柱大神
住所 新宿区歌舞伎町2-17-5
祭日 -
備考 新宿山ノ手七福神の恵比寿神



稲荷鬼王神社の由緒

稲荷鬼王神社は、戸塚諏訪神社境内の福瑳稲荷を承応2年(1653)に勧請したといい、天保3年(1832)に当地の百姓田中清右衛門が熊野から勧請した鬼王権現をと合祀して稲荷鬼王神社となったといいます。

新宿区の文化財による稲荷鬼王神社の由緒

もとは承応2年(1653)に戸塚の諏訪神社境内の福瑳稲荷を勧請したもので、天保3年(1832)に当地の百姓田中清右衛門が熊野から勧請した鬼王権現と合祀した神社である。
江戸時代から豆腐をそなえれば、湿疹・腫物に特効があるとされた。
邪鬼の頭上に手水鉢をのせた珍しい水鉢は、文政年間(1818-30)、毎夜水を浴びる音がするので持主が刀で切りつけたところ、その後家人に災難が相次いだため、天保4年(1833)鬼王神社に奉納されたという。
また、昭和五年に造られた富士塚が残っているが、昭和43年の社殿再建の際、二分してしまった。建碑には谷(○に谷)講とあり、西向天神社の富士塚と同系の講中である。もとは稲荷鬼王神社の氏子中を中心に活動していたが、現在は全く活動していない。(新宿区の文化財より)

東京都神社名鑑による稲荷鬼王神社の由緒

稲荷神社は承応二年(一六五三)将軍家綱公の時、当所の氏神として、正一位福嵯稲荷大明神を勧請した。鬼王神社は、鬼王権現と称し、宝暦二年(一七五二)に当所百姓田中清右衛門が紀州能野から勧請した。湿疹・腫物を初め諸病いっさい豆腐を献納して祈れば必ず平癒するといわれ、今日でも広く信仰されている。三島神社は別名開運恵比寿とも称え、文化年間(一八〇四-一八)に松平出雲守邸内より出現し御後室の居間に安置してあったのを、後、二尊院に奉納した。同院は新義真言宗芝愛宕円福寺寺中金剛院末で、雨宝山と号し、松平家の祈願所であった。この二尊院は代々稲荷鬼王神社社家大久保家にて別当職を兼ねており、嘉永六年(一八五三)十月同院火災にかかり、当時の別当大久保家十三世政光がその恵比寿神を大久保家に遷した。維新の神仏分離により、大久保家守護神とし、後、十四世義道が稲荷鬼王神社境内に奉斎じ、今日に至っている。またこの恵比寿神は山ノ手七福神の一つに数えられ参拝者も多い。(東京都神社名鑑より)


稲荷鬼王神社所蔵の文化財

  • 鬼王神社の水鉢

鬼王神社の水鉢

文政年間(1818-1829)の頃制作されたもので、うずくまった姿の鬼の頭上に水鉢を乗せた珍しい様式で、区内に存在する水鉢の中でも特筆すべきものである。
水鉢の左脇には、区内の旗本屋敷にまつわる伝説を記した石碑があり、これによると、
「この水鉢は文政の頃より加賀美某の邸内にあったが、毎夜井戸で水を浴びるような音がするので、ある夜刀で切りつけた。その後家人に病災が頻繁に起こったので、天保年間(1833)当社に寄進された。
台石の鬼の肩辺にはその時の刀の痕跡が残っている。・・・」とある。
この水鉢は、高さ1m余、安山岩でできている。(新宿区教育委員会掲示より)


稲荷鬼王神社の周辺図