浄運寺|新宿区愛住町にある浄土宗寺院

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増光山浄運寺|山の手三十三観音、東都三十三所観音

浄運寺の概要

浄土宗寺院の浄運寺は、増光山摂護院と号します。浄運寺は、信蓮社念譽龍把和尚(寛永5年1628年寂)が開山となり、麹町清水谷に元和5年(1619)創建、江戸城外堀建造に伴い寛永11年(1634)当地へ移転したといいます。当寺本尊の聖観世音菩薩像は慈覚大師の作と伝えられ、山の手三十三観音霊場23番、東都三十三所観音の十七番となっており、参詣者も多く当寺前を浄運寺横町と呼ばれるほど著名だったといいます。

浄運寺
浄運寺の概要
山号 増光山
院号 摂護院
寺号 浄運寺
本尊 観世音菩薩立像
住所 新宿区愛住町14-3
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 山の手三十三観音霊場23番



浄運寺の縁起

浄運寺は、信蓮社念譽龍把和尚(寛永5年1628年寂)が開山となり、麹町清水谷に元和5年(1619)創建、江戸城外堀建造に伴い寛永11年(1634)当地へ移転したといいます。

「四谷區史」による浄運寺の縁起

増光山攝護院浄運寺は京の知恩院末の浄土寺で、四谷北寺町今の愛住町にある。ここには數多くの寺院が集合してゐるが、鹽町二丁目から北折する横町を浄運寺横町と呼ぶ程に名が聞えた。境内古跡拝領地千三百五十二坪餘を數へた。
起立は元和五年己未であるが、元地及び此地に移轉した年月等は、享保中大久保邊から出た急火の爲に、一切の記録を失うて傳らぬ、唯草創當時は芝増上寺末であつたのを、住持了的上人の代に知恩院末に改めたことだけは明に知られて居る。
開山の信蓮社念譽龍把和尚は寛永五年戊辰六月廿六日に示寂したが、草創後四谷南寺町の西念寺に轉じて、同寺中興の住持となつた。
本尊観世音の立像は慈覺大師の作と傳へられて、東都丗三所観音の十七番、山手の廿三番に當る。地蔵堂には開運地蔵が安置された。浄運寺横町の名が呼ばれたのは観音と地蔵との参詣者が多かつた爲であらう。昔時大納言菊亭伊秀が来遊して和歌を止めた。
思はずも今日此寺に来てみれば山もおくある庭を見あかぬ(「四谷區史」より)


浄運寺の周辺図