玄国寺|新宿区高田馬場にある真言宗豊山派寺院

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龍池山玄国寺|豊島八十八ヶ所霊場

玄国寺の概要

真言宗豊山派寺院の玄国寺は、龍池山上珠院と号します。玄国寺は、慶長六年(1601)頃当地に創建、盛源法印が中興したといいます。豊島八十八ヶ所霊場72番です。

玄国寺
玄国寺の概要
山号 龍池山
院号 上珠院
寺号 玄国寺
住所 新宿区高田馬場1-12-10
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 豊島八十八ヶ所霊場72番



玄国寺の縁起

玄国寺は、慶長六年(1601)頃当地に創建、盛源法印が中興したといいます。

新編武蔵風土記稿による玄国寺の縁起

(諏訪村、諏訪神社)別当玄国寺
新義真言宗、大塚護国寺末、古は多磨郡中野寶仙寺の末なりしが、元禄九年今の末に属せり。龍池山上珠院と号す。本尊阿弥陀、長七尺許、行基作。慶長六年の起立にして延宝年中盛源中興す。
寺宝。玉一顆。安産與栄の玉と称す。相傳ふ。此玉始北条遠江戸守時政、其子相模守義時の妻難産の時、江嶋弁財天へ参籠して感得し、其加護に依て平産ありし処なり。其後庵原左衛門尉頼景に授け、代々相伝せしに、遥の後享保年中遠孫上原好右衛門吉重と云う者、岡野備中守恒成の家人たりし頃、故有て此玉密々に御本丸御用としてしはしは奉り、其時々白銀檀縁の因を以て当寺へ寄附し、其後いかゝの故にや一旦上原方へ返却りしを、寛政十年子孫遠藤備前守の家人三郎右衛門と云者再ひ寄納すと云、玉の寄附状及縁起上原氏の系譜を添へ、譜中にも玉の伝来具に載たれと、信すへき事実もあらさればここに略す。
鐘楼。享保八年鋳造の鐘をかく。
聖天堂。
地蔵堂。土屋地蔵と号す。源兵衛村に接する土屋甚助の下屋敷より掘出せしをここに安ず。故に此名あり。(新編武蔵風土記稿より)

境内碑文による玄国寺の縁起

旧くは中野宝仙寺の末寺であったが、元禄九年音羽護国寺の末寺となる。龍池院と号すること古くは大寺にて境内広く南方の尾陽公戸山屋敷より北方土屋氏の屋敷までひとつづきなる大なる池あるが故に龍池山と号す。
草創は承和年中(834-847)真雅僧正再営の説あり。慶長六年(1601)頃現在地に創建され、延宝年中、法印盛源中興し、世々諏訪神社の別当を兼ねていた。
本尊は「三弁火焔の阿弥陀如来」、座像にて三尺余、行基菩薩の作、別に名付けて「こころみの阿弥陀」とも称す。
武蔵風土記に「寺宝一顆あり。安産與楽の玉と称す。北条遠江守時政の子相模守義時の妻難産のおり江の島弁財天に参籠して感得し、その加護によって安産あり。また、その玉、密々御本丸に用としてしばしば奉る。縁ありて当寺に寄附される。」
境内墓地に隣接して「土屋地蔵尊」あり。源兵衛村土屋薩摩守氏(旗本2700石)下屋敷の井戸より出現した石像で別名「田植え地蔵尊」とも言う。種々の願いを叶え、霊験あらたかなる故に堂宇を建立す。
「江戸名所図会」(天保年間刊行)によれば、このあたり諏訪谷村と呼ばれ、諏訪神社並びに別当玄国寺ありてその境内には鐘楼堂、地蔵堂、聖天堂などがあった。(境内碑文より)


玄国寺の周辺図