堀ノ内熊野神社|杉並区堀ノ内の神社

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堀ノ内熊野神社|鎌倉時代創建

堀ノ内熊野神社の概要

堀ノ内熊野神社は、杉並区堀ノ内にある熊野神社です。堀ノ内熊野神社は、文永四年(一二六七)に、紀州(現和歌山県)の熊野三山を勧請して創建したと伝えられます。明治7年村社に列格、明治42年には堀之内村内にあった第六天稲荷社を境内に遷座したといいます。

堀ノ内熊野神社
堀ノ内熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 大屋津姫命、五十猛神、抓津姫命
相殿 -
境内社 稲荷神社第六天神社合殿
祭日 例祭日9月15日
住所 杉並区堀ノ内2-6-6
備考 旧村社



堀ノ内熊野神社の由緒

堀ノ内熊野神社は、文永四年(一二六七)に、紀州(現和歌山県)の熊野三山を勧請して創建したと伝えられます。明治7年村社に列格、明治42年には堀之内村内にあった第六天稲荷社を境内に遷座したといいます。

杉並区教育委員会掲示による堀ノ内熊野神社の由緒

堀ノ内熊野神社
当社は旧堀之内村の鎮守で、大屋津姫命、五十猛神、抓津姫命の三柱が祀られています。社伝によれば当社は文永四年(一二六七)に、紀州(現和歌山県)の熊野三山を勧請したのにはじまり、室町時代に北条氏綱が上杉朝興を破り、江戸を攻略した際社殿を修築し祝祭を行い、江戸時代の寛永十一年(一六三四)にさらに修繕を加えたと伝えられています。別当は村内の妙法寺が明治維新までつとめていました。江戸時代の当社の用数を「新編武蔵風土記稿」は「除地、四百五十坪、外に鎮守免一町九段、小名本村にあり、社は四尺に三尺南向、拝殿二間に三間、・・・、前に石の鳥居を立」つと記しています。
総欅造りの社殿は「安政四年(一八五七)二月吉日氏子当村住人井上龍三」と銘が刻まれ、その精巧かつ豪華なことは区内随一の評があります。また、桧造りの幣殿は大正十二年の造営で、この時旧幣殿を現在の神楽殿に改修しました。昭和二十九年稲荷社・第六天王社の合殿社を改新築、同三十五年社務所の新築、社殿の整備を行い、同四十六年奥殿土台石の修復、神楽庫の新築等、今日の景観を整えました。
当社は文化財にも恵まれ、また大正十二年九月一日の関東大震災の当日、浅草で買い求め猛火の中を無事帰着して納められた「火伏の神輿」が、祭礼の際には町内を渡御します。なお、当社には古くから奉納された絵馬・額等も多く所蔵されています。(杉並区教育委員会掲示より)

「杉並の神社」による堀ノ内熊野神社の由緒

堀之内熊野神社(堀之内二丁目六番六号)
当社は、「新編武蔵風土記稿」多摩郡堀之内村の条に熊野社とあって「除地、四百五十坪、外に鎮守免一町九段、小名本村にあり、社は四尺に三尺南向、拝殿二間に三間、神体は木の坐像にて天照大神・八幡・春日の三社を安す、各長三寸、前に石の鳥居を立、松杉数株生茂れり、村民の持なり」とあるように、旧堀之内村の鎮守であった。創建は文永四年(一二六七)年紀州熊野三山を勧請したと伝えている。明治十二年の「神社明細帳」には当社について、
堀之内村字本村 村社 熊野神社
一、祭神 五十猛神、大屋津比売命、抓津比売命
一、由緒 明治七年四月二日被定村社
一、社殿間数 本殿四尺四方、拝殿間口二間奥行三間半
一、境内坪数 四百六十八坪 官有地
一、氏子戸数 六十八戸
とある
明治七年四月に村社に列格、その後、明治四十二年十一月に村内字中通りにあった稲荷社を合祀した。稲荷社の移転時の規模は、「社殿間口一間奥行一間境内坪数五十五坪」であった。今日の熊野神社は左のごとくである。
一、祭神 大屋津姫命、抓津姫命
二、境内末社(一社) 稲荷神社・第六天神社(以上合殿)
三、主要建物 本殿一・二坪、幣殿三・五坪、拝殿一〇坪、末社二・二五坪、神楽殿八坪、神輿庫五坪、社務所二一・五坪
四、例祭日 九月十五日
五、由緒
社伝では文永四(一二六七)に紀州熊野三山を勧請したことにはじまり(熊野三山の祭神と異なる理由は不明)、戦国時代には北條氏綱が関東管領上杉氏を攻略した際、和泉村の熊野神社とともに社殿を改修した。江戸時代には村内の妙法寺が別当職を務め、明治維新まで続いた。明治以降は大宮八幡宮の神職が兼務している。社殿(総欅造)は安政四(一八五七)年十一月吉日銘の土台石に建てられているが、明治九年に改修、幣殿(杉造)は大正十三年九月に造営された。社殿の彫刻はきわめて精巧で、区内随一といわれている。末社は昭和元年に新築、社務所は同三十六年九月、神楽殿は同四十七年に新築した。なお明治前の妙法寺との関係を示すものとして棟札(一枚)と札(一枚)がある。棟札には「(表)熊野大権現九月二十九日」「(裏)武州多摩郡中野領堀之内村日円山妙法寺八世真応院日現」とあり、札には「奉祭礼地神守護攸嘉永七甲寅正月当村如意珠日妙法寺」とある。また明治以降の奉納絵馬十五枚を収蔵している。祭日は九月十五日である。杉並の神社より)

新編武蔵風土記稿による堀ノ内熊野神社の由緒

(堀之内村)
熊野社
除地、四百五十坪、外に鎮守免一町九段、小名本村にあり、社は四尺に三尺南向、拝殿二間に三間、神体は木の坐像にて天照大神・八幡・春日の三社を安す、各長三寸、前に石の鳥居を立、松杉数株生茂れり、村民の持なり
第六天稲荷社
除地、八十坪許り、是も本村の内にあり、二社並てあり、共に小祠なり、拝殿九尺に六尺、木の鳥居あり、ここも松杉の森生ひしげれり、村民持なり(新編武蔵風土記稿より)


堀ノ内熊野神社の周辺図