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高円寺氷川神社|杉並区高円寺南の神社

高円寺氷川神社の概要

高円寺氷川神社は、杉並区高円寺南にある氷川神社です。高円寺氷川神社の創建年代は不詳ですが、源頼朝が奥州征伐の際、この地に着き、安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立させたとも、家臣の村田兵部某が高円寺村にとどまり農民となった時、大宮の氷川神社を勧請して創建したとも伝えられますが、村内曹洞宗高円寺の創建と同じ頃の天文年間(1532-15)の創建と考えられています。当地周辺が小澤村から高円寺村へと改称した頃に、高円寺天祖神社とともに高円寺村の鎮守社となり、明治7年には村社に列格していました。戦後、馬橋4丁目にあった陸軍気象部に祀られていた気象神社を当社境内に遷座、祀られています。

高円寺氷川神社
高円寺氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 御嶽神社・日枝神社・気象神社(合殿)、伏見稲荷神社、稲荷神社
祭日 例祭日8月27・28日
住所 杉並区高円寺南4-44-19
備考 旧高円寺村鎮守、旧村社



高円寺氷川神社の由緒

高円寺氷川神社の創建年代は不詳ですが、源頼朝が奥州征伐の際、この地に着き、安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立させたとも、家臣の村田兵部某が高円寺村にとどまり農民となった時、大宮の氷川神社を勧請して創建したとも伝えられますが、村内曹洞宗高円寺の創建と同じ頃の天文年間(1532-15)の創建と考えられています。当地周辺が小澤村から高円寺村へと改称した頃に、高円寺天祖神社とともに高円寺村の鎮守社となり、明治7年には村社に列格していました。戦後、馬橋4丁目にあった陸軍気象部に祀られていた気象神社を当社境内に遷座、祀られています。

新編武蔵風土記稿による高円寺氷川神社の由緒

(高円寺村)氷川社
除地四段三畝十歩、外に供免一段五畝、小名原にあり是も(高円寺天祖神社と共に)鎮守なり。本社三尺四方南向
上屋二間に三間、木の鳥居をたつ、村村内高円寺の持。 (新編武蔵風土記稿より)

杉並区教育委員会掲示による高円寺氷川神社の由緒

この神社は、旧高円寺村小名原の鎮守で、祭神は素盞嗚尊です。
創建については口碑によれば、天文年間(1532-15)、村内曹洞宗高円寺の創建と同じ頃といわれます。また社伝によれば源頼朝が奥州征伐の際、この地に着き、安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立させたとも、家臣の村田兵部某が高円寺村にとどまり農民となった時、大宮の氷川神社を勧請して社殿を建立したのが起源ともいわれています。しかし、詳細なことは詳かではありません。
当社は、「新編武蔵風土記稿」多摩郡高円寺村氷川社の条に「除地四段三畝十歩、外に供免一段五畝、小名原にあり、是も鎮守なり、本社三尺四方南向、上屋二間に三間、木の鳥居をたつ、村内高円寺の持」と記されており江戸時代には、原の鎮守様として農民の信仰を集め、高円寺が別当職を務めていたといわれます。明治七年、村社となりました。
境内には、三社の末社が祀られていますがなかでも気象神社(祭神八心思比顕命・やごころおもいかねのみこと)は、全国でも数少なく、非常に珍しい神社です。この社は、戦時中、旧馬橋四丁目にあった陸軍気象部内にあったものですが、戦後、関係者の要請で当神社の境内に遷されました。
例祭日は、八月二十八日です。(杉並区教育委員会掲示より)

杉並区の神社による高円寺氷川神社の由緒

円寺氷川神社(高円寺南四丁目四四番一九号)
当社は『新編武蔵風土記稿』多摩郡高円寺村の条に氷川社とあって「除地四段三畝十歩、外に供免一段五畝、小名原にあり、是も鎮守なり、本社三尺四方南向、上屋二間に三間、木の鳥居をたつ、村内高円寺の持」とある。また創建については口碑によれば、天文のころ(一五三二~五四)、村内曹洞宗高円寺の創建と同時といわれ、一説には村田兵部某が社殿を建立したのが起源といわれている。しかし、高円寺村の記録は寛永十六(一六三九)年の検地帳をはじめ多く焼失しており、かつ板碑も村内から発見されていないので、詳細なことは詳かでない。杉並区内で氷川神社という名称の神社は本社だけである。ところで、明治十二年の『神社明細帳』東京都公文書館蔵には当社について、
高円寺村字宮下 村社 氷川神社
一、祭神 素盞嗚尊
一、由緒 明治七年四月被定村社
一、社殿間数 本殿間口一間半奥行二間半、拝殿間口三間奥行二間
一、境内坪数 三百廿六坪 官有地
一、境内末社二社 三峯神社、三尺四方、由緒不詳、祭神伊弉冊命。御嶽神社、三尺四方、由緒不詳、祭神大麻等能豆神。
一、境外所有地 田地一反六畝七歩 高円寺村字中島。畑地五反十歩。
一、氏子戸数 百八戸
とあるが、今日の氷川神社は左のごとくである。
一、祭神 素盞嗚尊
二、境内末社(三社)御嶽神社・日枝神社・気象神社(以上合殿)、伏見稲荷神社(一殿)、稲荷神社(一殿)
三、境内地 五五〇坪
四、主要建物 本殿四坪、幣殿四坪、拝殿一四坪、神楽殿七坪、神輿庫一二坪、社務所二五二坪
五、例祭日 八月二十八日
六、由緒
社伝では文治5(1189)年源頼朝が奥州征伐の時、藤九郎盛長に命じで社殿を建立したのが起源であるというが明らかでない。明治七年四月村社に列し、同四十年十二月会計規則適用方指定せられ、同四十五年五月神傑幣白料供進指定神社となる。社殿は大正五年改築を行ない、昭和二十年五月戦災により焼失し、同二十二年九月仮殿を造営する。また同年には旧陸軍気象部(高円寺北四丁目)より気象神社を遷し、同三十七年八月には高円寺北一丁目の稲荷神社を遷した。同四十六年十月社殿、社務所、神楽殿、神輿庫を落成した。
七、その他
1.気象神社 氷川神社本殿の左側に三社の末社がある。本殿寄りの末社には日枝神社・御嶽神社とともに合祀した気象神社がある。祭神は八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)である。この社は馬橋四丁目にあった陸軍気象部に祭られていたが、戦後、関係者の要請で当氷川神社の境内に遷した。
2.氷川神社氏子青年会 昭和四十二年十一月氏子青年会を結成、都内で六番目、区内で一番目である。現在の会員は七十数名であるが、高円寺氏子地域の発展と会員相互の親睦と研鑽をもって神社諸行事に協力し、神社に関する知識を深めることを目的としている。現に氏子総代の中にも氏子青年会の出身者が名をつらね、神社総代会の運営に当っている。毎年三月第一日曜日の「雛祭り餅つき大会」が氏子青年会の主行事である。
3.例大祭と阿波踊り 氷川神社の例大祭はかって九月十七・十八日に執行されていたが、昭和三十二年より八月二十七・二十八日に変更した。この祭礼日の選定には子供の生活を配慮した。
一方、高円寺の「阿波踊り」もこの氷川神社の祭礼日変更の昭和三十二年にはじまったのである。その事情は同年六月に高円寺美観商店衝高南商盛会の青年部が誕生したことによる。秋祭りが夏祭りと一変した結果、奉納舞踊として「阿波踊り」が採択されたのである。当初は「阿波踊り」といわず「高円寺馬鹿踊り」と称されていたが、二十余年後の今日では「東京名物高円寺阿波踊り」として踊り子三千名、観客延べ五十万人という大催事となった。(杉並区の神社より)

氷川神社氏子青年会一同掲示による高円寺氷川神社の由緒

江戸名所図会によれば、その昔源頼朝奥州征伐のとき武蔵国杉並の地に至り給う際、随兵の中に当高円寺村にとどまり終に農民となる者あり・・・と記されています。
一説によれば村田兵部某云々ともいわれ(因みに村田姓は高円寺の旧家なり)その時武蔵国大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏に伝え、この高円寺村の位置高く燥松杉桐茂し遠く水田を望みて風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれている。御祭神は素盞嗚尊で国土開発、災難除けの信仰がある。氷川神社の御分社は約一千社あり関東地方が大部分を占めている。当社の創建された時期は不詳であるが、口碑によれば天文年間曹洞宗高円寺の創建と同時に剏祀されたといわれている。末社には気象神社、稲荷神社、御嶽神社、日枝神社が祀られている。
昭和四十六年十月十四日、社殿、社務所、神楽殿、神輿庫、手水舎が新しく御造営され、今日に至っている。
例大祭は毎年八月二十七・二十八日に行われる。(氷川神社氏子青年会一同掲示より)


高円寺氷川神社の周辺図


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