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久我山稲荷神社|杉並区久我山の神社

久我山稲荷神社の概要

久我山稲荷神社は、杉並区久我山にある稲荷神社です。久我山稲荷神社の創建年代は不詳ですが、古くから久ヶ山村の鎮守社だったといい、明治40年には字北原の天祖神社を合祀、昭和16年村社に列格したといいます。

久我山稲荷神社
久我山稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 保食命
相殿 大日孁貴神
境内社 八雲大神、天満天神
祭日 例祭日
住所 杉並区久我山3-37-14
備考 旧久我山村鎮守



久我山稲荷神社の由緒

久我山稲荷神社の創建年代は不詳ですが、古くから久ヶ山村の鎮守社だったといい、明治40年には字北原の天祖神社を合祀、昭和16年村社に列格したといいます。

杉並区教育委員会掲示による久我山稲荷神社の由緒

久我山稲荷神社
この神社は、「新編武蔵風土記稿」多摩郡久ヶ山村の条に稲荷社とあって「除地、二段五畝十五歩、堂屋舗にあり、小社にて上屋九尺に二間、拝殿二間に三間、南向、前に鳥居を立つ、石階鳥居の外に三級内に二十数級あり、村内の鎮守、例祭十一月にて日定らず、光明寺の持」と記されているように、創建の由来については詳かでないが古来からの久我山村の鎮守で、祭神は保食命です。
明治四十年四月に字北原にあった天祖神社(祭神大日孁貴神)が合祀されました。
昭和十六年二月に村社となりました。
境内末社に八雲神社・天満天神社があります。
本社では、七月に十四日に夏祭りが行われ、「湯の花神楽」が奉納されます。
その昔、この地に疫病が流行した際、村人が神楽を奉納し、祈願したところ、疫病がやんだという故事によるものです。
この湯立ては、杉並区では極めて珍らしい行事となっています。
境内には明治三十二年に氏子が奉納した金玉均(朝鮮の李王朝末の政治亡命家)の手跡を刻んだ「人心同」の碑があります。
この碑は、久我山村生れで、幼くして小笠原にわたり、砂糖王と呼ばれた飯田作右衛門が、遠く離れている父に朝夕仕えることもできず、心で思うばかりである。せめて父の住むところに自分の不孝をわびる石碑を建ててくれと頼み、その心根に強く打たれた金玉均の手跡です。
なお、元禄十六年(一七〇三)の庚申塔があります。かつて村人がこの庚申様に砧の槌を納めて養蚕の無事を祈願したと言い伝えられています。
また、昭和五十七年に新築された「額堂付神楽殿」には多数の絵馬が保存されています。(杉並区教育委員会掲示より)

「杉並区の神社」による久我山稲荷神社の由緒

久我山稲荷神社
当社は「新編武蔵風土記稿」多摩郡久ヶ山村の条に稲荷社とあって「除地、二段五畝十五歩、堂屋舗にあり、小社にて上屋九尺に二間、拝殿二間に三間、南向、前に鳥居を立つ、石階鳥居の外に三級内に二十数級あり、村内の鎮守、例祭十一月にて日定らず、光明寺の持」とある。創建の由来については別当であった村内の光明寺が明治になって廃寺となり、史料を散逸したので詳かでない。明治十二年の「神社明細帳」東京都公文書館蔵には当社について、
久我山村字中屋敷稲荷神社
一、祭神 保食命
一、由緒 不詳(社殿間数を欠く)
一、境内坪数 三反廿四歩 官有地
とあるが、今日の久我山稲荷神社は左の如くである。
一、祭神、保食命
二、相殿 大日孁貴神
三、境内末社(一社)八雲神社・天満天神社(以上合殿)
四、境内地 九八二坪
五、主要建物 社殿銅葺一二・七五坪、神楽殿八・七五坪、神輿庫三坪、額堂五坪、社務所二三坪
六、例祭日 十月一日
七、由緒 当社は古来久我山村の鎮守で、明治四十年四月に字北原にあった天祖神社を合祀した。天祖神社(神明社)の祭神は大日孁貴神、当時本殿間口三尺奥行三尺、境内一反五畝余を有していたが、稲荷神社に合祀したので明治四十二年四月に境内地を処分した。久我山稲荷神社の例大祭は十月一日であるが、七月二十四日に夏祭が行われ、「湯の花神楽」を奉納している。この由来は昔この地に疫病が流行した際、村人が鎮守で神楽を奉納し祈願したところ疫病が止んだという故事による。当日は午後七時頃に大きな釜を境内に据え、周囲に注連縄を張り廻し、火を焚き湯を沸かし小笹をひたしては打振り、神楽を奉納する。神楽を奉納した後には、丸い小さな餅を参詣者に投げ与え、この夏祭を終える。この湯立は杉並区では珍しい行事となってしまった。
なお、境内に「人心同」と刻した碑があるが、これは明治三十二年に氏子が金玉均の手蹟を刻して奉納したものである。また境内に元禄十六(一七〇三)年の庚申塔があるが、この庚申様に村人は砧の槌を納めて養蚕の無事を祈願していた。(「杉並区の神社」より)


久我山稲荷神社の周辺図


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