託法寺|杉並区永福にある真宗大谷派寺院

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光栄山託法寺|井野直次郎が開基、環状4号線造成のため当地へ移転

託法寺の概要

真宗大谷派寺院の託法寺は、光栄山と号します。託法寺は、井野直次郎が開基となり、寛永11年(1634)江戸四ッ谷永住町(現新宿区四ッ谷4丁目)に、四谷善慶寺の寺中寺として、僧釋浄圓(俗称本多氏)が創建したといいます。大正11年、環状4号線造成のため当地へ移転しています。

託法寺
託法寺の概要
山号 光栄山
院号 -
寺号 託法寺
住所 杉並区永福1-6-6
本尊 阿弥陀如来立像
宗派 真宗大谷派
葬儀・墓地 -
備考 -



託法寺の縁起

託法寺は、井野直次郎が開基となり、寛永11年(1634)江戸四ッ谷永住町(現新宿区四ッ谷4丁目)に、四谷善慶寺の寺中寺として、僧釋浄圓(俗称本多氏)が創建したといいます。大正11年、環状4号線造成のため当地へ移転しています。

杉並区教育委員会掲示による託法寺の縁起

当寺は、光栄山と号する真宗大谷派の寺院です。本尊は、阿弥陀如来立像で像高90cm、寄木作り、彫眼で江戸末期の作と言われます。
寺伝によれば、開山は浄円で寛永11年(1634)江戸四ッ谷永住町(現新宿区四ッ谷4丁目)に開創しました。浄円は俗姓を本多と称したと伝えられています。開山当時のようすは詳らかではありませんが、江戸期の「御府内遠隔図書」の四ッ谷大木戸附近の部を見ますと、東長寺(現存)の説明に嘉永元年(1848)境内の西方を託法寺に貸した旨の記載があります。また文久2年(1862)の江戸切絵図には、東長寺境内の一部が当寺借地分として区画されています。
明治13年の「寺院明細帳」には罹災の為か本堂の記載がなく仮庫裡33坪となっています。また神田の町人幸助という人が寄附した6坪の門があり、檀家は31戸でした。
その後、都市計画事業により移転を命ぜられ、大正11年、現在の地に栖岸院所有地千余坪を得て移転しました。これは区内浄土真宗移転寺中最も早い移転と言えます。
しかし昭和20年5月25日に空襲を受け全焼してしまいました。同28年8月、漸く復興をし今日にいたっています。(杉並区教育委員会掲示より)

「杉並の寺院」による託法寺の縁起

善慶寺寺中託法寺
寛永十一年四谷内藤新宿に起立、開山釋浄圓、正保二年十月十六日入寂。開基俗名井野直次郎。(「杉並の寺院」より)

「四谷區史」による託法寺の縁起

託法寺は東本願寺眞宗市谷本村町にある白鳥山善慶寺の寺中であつた。善慶寺は寛永三年赤坂一ツ木村に起立し寺地が外堀となるに及び、明暦二年本村谷町に移り来たと傳へ、託法寺は寺中として寛永十一年四谷内藤宿に起立した。開山釋浄圓は正保二年十月十六日入寂し、開基井野直次郎、これは法名も死去年月も不明とある。本堂間口二間半に奥行三間半、宣如上人の裏書ある阿彌陀如来を本尊に安置した。什物は小寺の割に多く、宣如一如兩人裏書の畫像四幅を蔵した。江戸紀聞も單に寺中として記事はない。(「四谷區史」より)


託法寺の周辺図