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妙正寺|杉並区清水にある日蓮宗寺院

妙正寺の概要

日蓮宗寺院の妙正寺は、法光山と号します。妙正寺は、中山法華経寺第三世日祐上人が三十番神堂として文和元年(1352)創建、慶安二年(1649)徳川家光より寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。

妙正寺
妙正寺の概要
山号 法光山
院号 -
寺号 妙正寺
住所 杉並区清水3-5-10
本尊 十界諸尊・木造日蓮上人坐像
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 妙正寺会館
備考 -



妙正寺の縁起

妙正寺は、中山法華経寺第三世日祐上人が三十番神堂として文和元年(1352)創建、慶安二年(1649)徳川家光より寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。

杉並区教育委員会掲示による妙正寺の縁起

法光山妙正寺は、日蓮宗の寺で十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神・三十番神・弁財天などの諸像が祀られています。
約六百年前の文和元年(1352)、中山法華経寺(千葉県)の第三世日祐上人が、妙正寺のほとりに堂を建て、法華経守護の天照大神・八幡大神・春日大神など三十番神を勧請したのが草創であり、正保三年(1646)中興開山日明が社殿再建してから、広く信仰されるようになったといいます。
慶安二年(1649)、三代将軍徳川家光が鷹狩りの折、神前に武運長久を祈願し、葵の紋幕と朱印地五石を寄進してからは、「御朱印寺」として一層有名になりました。現在でも、毎年十月二十五日に三十番神堂に、葵の紋幕を掲げて一般に公開する法会が行われています。
天保元年(1830)に本堂は古文書類と共に焼失しましたが、天保三年には再建され、昭和六年に改築して今日に至っています。
また、三十番神堂及び鐘楼は安政三年(1856)の大暴風で倒壊し、安政六年に再建されました。なお、現在の鐘楼は、昭和三十八年に新しく建て替えられました。
当寺に伝わる鎌倉期から室町期の板碑八基は、妙正寺池周辺の古い村落のことがうかがえる貴重な文化財です。
鬼子母神像は、「生毛鬼子母神」と称され、安産に霊験ありとして、江戸城大奥にありましたが、天保改革(1841)の大奥粛清の時、この寺に移されたもので、それ以来この地域の人々に「安産の神」として親しまれてきたといわれます。
なお、弁財天像は、もと妙正寺池の弁天島に祀られていたものです。(杉並区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による妙正寺の縁起

(下井草村)妙正寺
除地、二千坪、村の中央より少く南の方に寄てあり、法光山と称す。日蓮宗にて下総国中山法華経寺末、寺領五石の御朱印を附せらる。客殿は南向にて八間四方、本尊三寶釈迦、三寶は木の坐像にて長八寸、開山を日明と云、正応二年示寂す。開基詳ならず。
鐘楼。本堂の右に在八尺司法、鐘の径二尺五寸、高さ三尺五寸、近来鋳冶せし者なり。
三十番神堂。堂の左にあり一間半四方西向、番神の像何れも坐像にて長五寸ばかり。
稲荷祠。客殿より北の方にあり。小祠、神体は陀幾尼天木の立像にて長三寸五分、境内の鎮守なり。
十羅刹堂
妙正寺より三町程北の方小名神戸にあり。妙正寺御朱印地の内なり。則此寺の持。堂は二間に二間半南向、本尊木の立像にて長三寸。(新編武蔵風土記稿より)


妙正寺の周辺図


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