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蓮光寺|杉並区和田にある日蓮宗寺院

蓮光寺の概要

日蓮宗寺院の蓮光寺は、頂光山と号します。蓮光寺は、源受院日宝が開基となり文禄3年(1584)両国矢ノ倉(現中央区東日本橋)に創建、正保元年(1644)浅草新寺町へ移転、当寺の開運大黒天は、通称「土富店の大黒天」とも言われ、江戸庶民の信仰をあつめたといいます。浅草の区画整理に伴い、大正4年当地へ移転したといいます。

蓮光寺
蓮光寺の概要
山号 頂光山
院号 -
寺号 蓮光寺
住所 杉並区和田3-30-20
本尊 十界諸尊
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



蓮光寺の縁起

蓮光寺は、源受院日宝が開基となり文禄3年(1584)両国矢ノ倉(現中央区東日本橋)に創建、正保元年(1644)浅草新寺町へ移転、当寺の開運大黒天は、通称「土富店の大黒天」とも言われ、江戸庶民の信仰をあつめたといいます。浅草の区画整理に伴い、大正4年当地へ移転したといいます。

杉並区教育委員会掲示による蓮光寺の縁起

当寺は、頂光山と号する日蓮宗の寺院で、本尊は十界諸尊です。
「文政寺社書上」によれば開創は、文禄3年(1584)、両国矢ノ倉(現中央区東日本橋)で、開基は、源受院日宝と言われています。
正保元年(1644)には、浅草新寺町(現台東区元浅草)に、境内地を拝領して移転し、境内には円理院・受教院・専玄房・了寿房などがあり、寺運の隆盛があったと伝えられますが、文化3年(1806)に、火災により焼失したので、詳細なことは明らかではありません。
大正4年7月に、浅草の区画整理のため現在地に移転しました。
当寺で有名な「開運大黒天」は、浅草新寺町時代の地名の俗称に因んで、通称「土富店の大黒天」とも言われ、江戸庶民の信仰をあつめました。この「大黒天」は、当初、日蓮上人が母妙蓮尼の病気平癒を祈願して彫ったものと伝えられております。また、開基日宝が、小湊巡錫の折に、庄屋の娘の難産に会い、祈願して助けました。その際に、床柱が光を発しこの家に伝来、不明となっていた「大黒天」が再び発見され、これをもらい受けて江戸に持ちかえり、蓮光寺建立の際、奉安したものと伝えられます。
本寺は、江戸時代旗本寺としても、栄えました。なお昭和50年記念碑としてネタジ・スバス・チャンドラボースの碑が建立されています。(杉並区教育委員会掲示より)

「杉並の寺院」による蓮光寺の縁起

開運出世祈願で有名であった「土富店の大黒」は、日蓮上人が母妙蓮尼の病平癒を祈り、小湊(千葉県鴨川市)の生家の庭の松の木で彫ったものと伝え、当寺開山日宝が、小湊巡錫の折に庄屋の娘の難産を助け、庄屋家に伝来したこの像を寄進されたという。(「杉並の寺院」より)

「杉並の寺院」による蓮光寺の縁起

(原町)福應山惠性院蓮光寺 越後本成寺末
寛永二年丸山本妙寺内に取立、寛永十三年原町に町屋買求移轉、開山惠性院日是、寛文八年六月七日寂、舊境内年貢地三百十四坪。(「杉並の寺院」より)

御府内寺社備考による蓮光寺の縁起

甲斐国身延山久遠寺末、浅草新寺町
大黒山蓮光寺、境内拝領地千三百八十一坪二合五勺門前町有之。
当寺は文禄三午年、源受院日宝上人之開基二御座候。
旧跡は両国矢之倉二御座候を正保元申年、当浅草江引 移申候。比門谷末之儀は元禄十年迄ニ而翌十一戊寅年、寺社奉行井上河内守様被差出、甲州身延末二被仰付候。此時僧ハ八世慈雲院日逮上人と申候。上人元禄九子年住職、宝永五戊子年十二月廿二日遷化。
開山日宝上人、元和二丙辰年十月十七日卒。
本堂。
本尊三宝祖師。
高祖大菩薩長八寸、右は中老日法上人之作。比門谷日源上人感得にして比門谷為什宝、当寺開基日宝上人壱寺建立之節、感其功比門谷右尊像を授与せられて末頭職ニ被申付、其後身延末ニ相成申候。文化三寅年焼失前、境内に堂ありしか、其後堂不成、且縁起も有しか其節焼失すといふ。
鬼子母神、長一尺一寸伝教大師作。
大鐘、承応午年七月中像寅年焼失後楼堂未再建。
開運大黒天社、間口四間奥行六間。
神体、長四寸座像日蓮之作。(縁起中略)
稲荷社。
寺中。
円理院
専玄院
了寿院
右、比門谷末頭職之時分有之由、其後何れの頃相絶候哉。相分不申候。
以上乙酉書上
項光山蓮光寺、開山日慈上人。(江戸志)(御府内寺社備考より)


蓮光寺所蔵の文化財

  • 大黒天像

蓮光寺の周辺図


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