東京都慰霊堂|墨田区横網の史跡

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東京都慰霊堂|旧陸軍被服本廠跡

東京都慰霊堂の概要

東京都慰霊堂のある当地は、旧陸軍被服本廠跡で、大正11年3月にこの地を逓信省用地、東京市電局用地、東京市の社会事業用地、同公園用地等に分割して譲渡されましたが、9月1日関東大震災が突発、当地で44,000人という焼死者を出す大惨事となり、震災犠牲者を弔うため震災祈念堂ができました。その後の太平洋戦争戦災犠牲者も併せて安置し、昭和26年東京都慰霊堂としてなっています。

東京都慰霊堂の概要
名所旧跡名 東京都慰霊堂
住所 墨田区横網2-3
電話番号 -
みどころ -
法要 3月10日、9月1日
備考 -



東京都慰霊堂について

東京都慰霊堂のある当地は、旧陸軍被服本廠跡で、大正11年3月にこの地を逓信省用地、東京市電局用地、東京市の社会事業用地、同公園用地等に分割して譲渡されましたが、9月1日関東大震災が突発、当地で44,000人という焼死者を出す大惨事となり、震災犠牲者を弔うため震災祈念堂ができました。その後の太平洋戦争戦災犠牲者も併せて安置し、昭和26年東京都慰霊堂としてなっています。

この地は旧陸軍被服本廠跡で、全体で約20,400坪ありました。大正11年3月にこの地を逓信省用地、東京市電局用地、東京市の社会事業用地、同公園用地等に分割して譲渡されました。大正11年7月、まず横網町公園の造成に着手しましたが、9月1日関東大震災が突発、広大な空地であったここの安全性を信じて多くの人々が避難して来ました。ところが人々は多くの荷物を運びこんだだめに、これに火が付いて、ついに44,000人という焼死者を出す大惨事となりました。これらの犠牲者と、市内各地で犠牲となった人々の遺骨とを合わせて55,000人の霊をこの地に安置することにして、10月に仮納骨堂を完成しました。
東京都慰霊堂は伊東忠太、佐野利器、塚本靖、佐藤功一の四工学博士によって設計され、昭和2年2月着工、同5年9月2日に完成しました。慰霊堂内の供養塔に遺骨を安置する変則の五重塔で、高さ41mあり、堂の総建坪は1,413㎡あります。はじめ「震災祈念堂」と称していましたが、太平洋戦争による都内戦災犠牲者役105,400人(一般都民のみ)の遺骨を合わせ安置しましたので、昭和26年9月1日「東京都慰霊堂」と改称しました。3月10日、9月1日の両記念日には法要が盛大に行われ、多くの人々がそれぞれの思いをこめて参詣します。
隣りの復興記念館は関東大震災の状況を永く後世に伝えるため、当時の被災品や遺品、写真などを保存陳列すべく、昭和6年に建設されたものです。猛火により熔けて形を変えた機器や硬貨、ビールびん、尋ね人などが陳列され、当時の惨状忘れがたいことを教えています。もちろん、今次大戦の写真や被災の資料も追加陳列されています。


東京都慰霊堂の周辺図