元三島神社|河野通有が勧請、下谷七福神の寿老神
元三島神社の概要
元三島神社は、台東区根岸にある神社です。元三島神社は、元寇の弘安の役の際に河野通有が伊予国大三島神社に必勝祈願した後、当地に分霊を勧請して創建したと伝えられます。宝永7年(1710)浅草小揚町へ遷座(寿三島神社)することになったものの、地元氏子の協議により当地にあった熊野社と合祀して元三島社と称したといいます。旧金杉村(台東区根岸、東日暮里)の鎮守で、下谷七福神のひとつ寿老神が祀られています。
社号 | 元三島神社 |
---|---|
祭神 | 大山祇命、伊佐那岐命 |
相殿 | 和足彦命、身島姫命、上津姫命、下津姫命 |
境内社 | 稲荷神社 |
住所 | 台東区根岸1-7-11 |
備考 | 旧金杉村鎮守、下谷七福神の寿老神 |
元三島神社の由緒
元三島神社は、元寇の弘安の役の際に河野通有が伊予国大三島神社に必勝祈願した後、当地に分霊を勧請して創建したと伝えられます。宝永7年(1710)浅草小揚町へ遷座(寿三島神社)することになったものの、地元氏子の協議により当地にあった熊野社と合祀して元三島社と称したといいます。
新編武蔵風土記稿による元三島神社の由緒
熊野社
里俗に元三島と呼ふ。前にいへる三島社地。寛永年中御用地となり替地を賜はらさる間は神体を仮に此社内に移置けり。故に其比より当社を元三島とは称せりとそ。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による元三島神社の由緒
当社はご祭神は大山祇命、伊佐那岐命を頂き、和足彦命、身島姫命、上津姫命、下津姫命を配祀申すものである。例大祭はご祭神勧請の時にちなみ5月14、15日とする。
元三島神社は円融天皇御代日本総鎮守の称号を賜って名高い愛媛大三島の元国幣大社大山祇神社を御本社頂くものである。
当社由来の源は弘安4年の役の勇将河野道有大山祇神社に必勝祈願し出陣したる処神恩加護の下武功赫々として帰陣したところ夢中に神のお告げを得て大山祇大明神を武蔵国豊島郡に勧請の願を発し上野山内に分霊を鎮座申上げた事に始まったと伝えられる。(境内掲示より)
東京都神社名鑑による元三島神社の由緒
当社の由来は、弘安四年(一二八一)の役の折、勇将河野対馬守越智通有、大山祇神社に必勝祈願出陣し、神恩加護のもと武功赫々として帰陣したところ、夢中に神のお告げを得て大山祇大神を武蔵国豊島郡に勧請すべく発願し、分霊を奉じて上野山内に鎮座したところ、里人深く尊崇したことにはじまるという。のち、室町の代を経て社運の隆昌をみるが、慶安三年(一六五〇)徳川家光の時、上野山内よりの社地移転を命ぜられ、御朱印により金杉村に移転をとげた。ついで、宝永六年(一七〇九)金杉村社地幕府用地になるにおよび、代替地浅草小揚町を賜わり、再び御遷座の運びとなった。しかるに、代々金杉村に住む氏子から氏神様の遊離はまことに不都合と、金杉・根岸の村民相寄り協議を重ね、ついに当金杉kの地の熊野社と合祀をはかり、これを元三島神社と称し今日に至る。明治四年再建の社殿は戦災で焼失、同二十三年復興なるもその後の老朽著しく、よって昭和五十一年四月新に社殿を建立する。(東京都神社名鑑より)
元三島神社の周辺図