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立善寺|台東区谷中にある日蓮宗寺院

立善寺の概要

日蓮宗寺院の立善寺は、長興山と号します。立善寺は、長興院日栄聖人(正保3年1646年寂)が開基となり創建したといいます。当所両国矢倉町に居住していたましが、元和8年に下谷金杉村に一宇を建立、明暦2年御切手町へ移転、替地を受領できず難渋していたところ、茂原妙光寺日俊上人より297坪を譲り受けることができ、その後替地として378坪を受領して再建したといいます。

立善寺
立善寺の概要
山号 長興山
院号 -
寺号 立善寺
住所 台東区谷中5-4-19
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



立善寺の縁起

立善寺は、長興院日栄聖人(正保3年1646年寂)が開基となり創建したといいます。当所両国矢倉町に居住していたましが、元和8年に下谷金杉村に一宇を建立、明暦2年御切手町へ移転、替地を受領できず難渋していたところ、茂原妙光寺日俊上人より297坪を譲り受けることができ、その後替地として378坪を受領して再建したといいます。

御府内寺社備考による立善寺の縁起

下野国佐野開本山妙顕寺末、谷中三崎
長興山立善寺、境内675坪内年貢古跡地297坪年貢持添地378坪
元和三丁巳年、両国元矢倉二房舎構居住。後元和八壬成年、下谷金杉村二一字建立仕、此地三拾五年住居。明暦二年大猷院殿御仏殿御林御用地二被召上候。依之、同所御切手町二移住す。借地にて弐拾八年居住。其中松平出雲守殿、安藤右京之進殿江替地訴訟三ヶ度、追而可被 仰付候事之様ニ而、相待処御沙汰無之。貞享元甲子年、只今之地所、上総国長柄郡藻原妙見寺日俊上人抱地面坪数六百七拾五坪、地面貰請、右古跡地之願申出候処、水野右衛門太夫殿坂本内記殿御列座二而、古跡地持添地前書之通、被仰付候。
日栄聖人開基本尊壱幅有之。尤此本尊は長興山妙昌寺与認有之。二代目立善院日寿代より立善を以寺号二相用候。
開基己来寛文九己酉年迄、佐渡国阿仏坊村妙宣寺末流にて有之候処、本末之異論出来候哉、加々爪甲斐守殿御役宅こおゐて本末離仕、同年十月只今之本寺佐野妙顕寺江仮末寺契約。則妙顕寺日近聖人より仮末寺証文取有之。
開基より七代目融善院日玄代、引地二相成。当代廿一世相続。然共貧寺之事故、古記巨細二相分不申旧記見当り候処、荒増如此御座候。以上
開基長興院日栄聖人、字は文素与云。玉作植林能化なり。正保三成七月九日寂。
客殿、6間半四方。
本尊宗風二而十界勧請。
祖師日蓮、丈8寸座像鍋冠日新上人作。
鬼形鬼子母神、丈1尺2寸5分立像。右は永仁2年9月、中山富木日常上人彫刻。縁起写左之通。(中略)
閣魔王、丈1尺6寸座像運慶作の由。
三十番神、右類焼後、堂畳置。
半鐘。右は延享元年7月、十二世本住院日諦代鋳之。本堂二掛有之。
稲荷大明神社、1間四方葉竹稲荷奉称。
以上丙戊書上
寺院新地帳之内古跡相立覚帳、貞享元子6月改、貰地境内297坪。外二370坪余持添地。貞享元子6月16日、張紙二左之通有之。
下谷坂本法花宗立善寺儀は、谷中三崎村にて藻原妙光寺日俊抱675坪之屋敷、此度日俊より貰。坂本之屋敷ハ借地二而年季明候二付、地主へ返し三崎村貰地寺引移り度之旨相願候二付、糺之上相願候通申渡、元坪数297坪拾之内へ引移り、残り370坪之処明地二而差置、もし卵塔場に仕候分ハ勝手次第之旨申渡す。御府内寺社帳(御符内寺社備考より)


立善寺所蔵の文化財

  • 木造閻魔王坐像(台東区登載文化財)

立善寺の周辺図


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