神明ヶ谷戸大日堂|武蔵村山市神明にある堂宇

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神明ヶ谷戸大日堂|市指定有形文化財の大日如来像、庚申塔

神明ヶ谷戸大日堂の概要

堂宇の神明ヶ谷戸大日堂は、武蔵村山市神明にある大日堂です。神明ヶ谷戸大日堂について、新編武蔵風土記稿には記載がないことから創建年代等詳細は不詳ながら、近くの神明ヶ谷戸神明社が遥拝所から独立して一社となった時期に前後して大日堂も小名神明ヶ谷戸の鎮守として祀られるようになったのではないかと思われます。大日如来像、庚申塔は市有形文化財に指定されています。

神明ヶ谷戸大日堂
神明ヶ谷戸大日堂の概要
山号 -
院号 -
堂名 大日堂
住所 武蔵村山市神明3-12-2
宗派
葬儀・墓地 -
備考 -



神明ヶ谷戸大日堂の縁起

神明ヶ谷戸大日堂について、新編武蔵風土記稿には記載がないことから創建年代等詳細は不詳ながら、近くの神明ヶ谷戸神明社が遥拝所から独立して一社となった時期に前後して大日堂も小名神明ヶ谷戸の鎮守として祀られるようになったのではないかと思われます。

神明ヶ谷戸大日堂所蔵の文化財

  • 大日堂庚申塔(市指定有形民俗文化財)
  • 神明ヶ谷戸大日堂の大日如来像(市指定有形民俗文化財)

大日堂庚申塔(市指定有形民俗文化財)

この庚申塔は、江戸時代中期宝暦九年(一七五九)、神明ヶ谷戸の村人によって造立されたものである。
庚申とは、六十日ごとにめぐってくる干支の庚申にあたる日で、人々は身をつつしんでこの日を過した。この地方では、五穀豊穣や無病息災も祈願した。
庚申信仰は、奈良時代の頃、中国から伝来し、初め貴族の間で信仰された。やがて武士の間にひろまり、江戸時代には、庶民も庚申塔を造立して信仰するようになった。
この塔の主尊は、青面金剛で、上部瑞雲に日月を刻み、第一手は、剣としょけら(女人)、第二手は、三叉矛と法輪、第三手は弓矢を持ち、足下に邪鬼をふまえている。
庚申塔は、市内に二十一基現存しているが、この塔は江戸時代中期の典型的なものとして大切な資料である。(武蔵村山市教育委員会掲示より)

大日堂庚申塔

この庚申塔は、宝暦九年(一七五九)に造立されたものです。江戸時代庚申信仰が庶民の間にひろまり、市内に二十一基現存していますが、この塔は典型的な像です。また大日堂には享保八年(一七二三)に造立された金剛界大日如来が安置されています。(むさしむらやま歴史散策東コース掲示より)

神明ヶ谷戸大日堂の大日如来像

この大日如来像は、宝冠をかぶる金剛界大日如来であり、袈裟を片掛け(偏袒右肩)した如来態である。丸彫りで顔や胸、衣などにふくらみのある表現がされている作りのよい像であり、仕上げに線状の磨き痕がみられる。大日堂内に安置され、保存状態も良好である。総高百二十六センチメートルを計る。台座には神明ヶ谷戸地区の二十四人の人名と日待供養の造立趣旨が刻まれている。このことから、信仰上のつながりを持った地域の人々によって、日待供養のため、享保八年(一七二三)に造立されたことがわかる。
地域固有の信仰上の特色を遺す貴重な文化財である。(武蔵村山市教育委員会掲示より)


神明ヶ谷戸大日堂の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿