上染屋八幡神社|武蔵守新田義宗が社殿再建
上染屋八幡神社の概要
上染屋八幡神社は府中市白糸台にある八幡神社です。上染屋八幡神社は、正慶2年(1333)上野国碓氷郡八幡より武蔵国府に遷座、本地仏に弘長元年(1261)の銘文が残されているといいます。正平11年(1356)武蔵守新田義宗が社殿再建、承応2年(1653)八月多摩川洪水にて社地が流失したため当地へ遷座、上染屋村の鎮守社だったといい、明治8年村社に列格したといいます。
社号 | 八幡社 |
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祭神 | 品陀和気命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社 |
住所 | 府中市白糸台1-42-5 |
祭日 | 9月15日 |
備考 | 旧村社 |
上染屋八幡神社の由緒
上染屋八幡神社は、正慶2年(1333)上野国碓氷郡八幡より武蔵国府に遷座、本地仏に弘長元年(1261)の銘文が残されているといいます。正平11年(1356)武蔵守新田義宗が社殿再建、承応2年(1653)八月多摩川洪水にて社地が流失したため当地へ遷座、上染屋村の鎮守社だったといい、明治8年村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による上染屋八幡神社の由緒
(上染屋村)八幡社
社地除凡二町、村の北にあり、鳥居は街道をのそめり、本社を距ること凡一町、二間に二間半の覆屋、神體近来のもの、村の鎮守、例祭は毎年九月十五日なり。
別当玉蔵院
境内四畝二十二歩、年貢地、染屋山神宮寺と號す、往来にあり、本山修験、本尊不動、立身の木像長一尺五寸許、智證大師の作といふ。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による上染屋八幡神社の由緒
鎮座の起源は正慶二年(一三三三)上野国碓氷郡八幡より、武蔵国府に遷座したと伝えられ、当神社本地仏銘文に上州八幡の庄弘長元年(一二六一)十二月日云々の文字がある。正平十一年(一三五六)武蔵守新田義宗社殿再建、承応二年(一六五三)八月多摩川洪水にて社地が流失したため、現在地へ遷座鎮祭した。昭和三年本地仏は国宝に指定された。昭和八年八月宝物殿を建設し、昭和十五年十月に覆殿を新築した。(東京都神社名鑑より)
北多摩神社誌による上染屋八幡神社の由緒
鎮座の起源は、正慶二年上野国碓氷郡八幡より武蔵国府に遷座したものと伝わる。殊に当地本地仏銘文に、上州八幡の庄、弘長元年十二月日云々の文字がある。其後正平十一年武蔵守新田義宗社殿再建、承応二年八月玉川洪水にて社地流失し、現在地へ遷座鎮祭した。明治八年二月村社に列せられた。昭和三年八月文部省告示第三五二号により本地仏を、古社寺保存法第四条により、国宝に指定された。昭和七年六月宝物殿を建設し、昭和十五年十月本殿新築落成、昭和三十年九月仮拝殿新築、昭和四十一年八月祭器庫改築。(北多摩神社誌より)
境内掲示による上染屋八幡神社の由緒
鎮座の起源は社伝の旧説を始め里老の口碑に正慶二年上野国碓氷郡八幡より武蔵国府に遷座の趣確乎と相存し(往古国府の市街当地に及びし故を以て国府に遷座と申伝候)殊に当社本地仏銘文に上刕八幡庄、弘長元年十二月云々の文字現存仕候、其後正平十一年武蔵守新田義宗社殿再建、承応二年玉川洪水にて往古の社地流失致し今の現地へ遷座鎮座祭仕候。明治八年二月村社に列せられる。(境内掲示より)
上染屋八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)