延命寺|日野市川辺堀之内にある真言宗智山派寺院

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有王山延命寺|日野七福神の寿老人、多摩八十八ヶ所霊場

延命寺の概要

真言宗智山派寺院の延命寺は、有王山地蔵院と号します。延命寺の創建年代等は不詳ながら、文明2年(1470)銘の板碑が当寺に残され、また本尊の作風が鎌倉時代と考えられることなどから、中世の創建ではないかといいます。多摩八十八ヶ所霊場83番、日野七福神の寿老人です。

延命寺
延命寺の概要
山号 有王山
院号 地蔵院
寺号 延命寺
住所 日野市川辺堀之内595
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



延命寺の縁起

延命寺の創建年代等は不詳ながら、文明2年(1470)銘の板碑が当寺に残され、また本尊の作風が鎌倉時代と考えられることなどから、中世の創建ではないかといいます。

新編武蔵風土記稿による延命寺の縁起

(川邊堀之内村附持添新田)別当延命寺
新義真言宗、高幡村金剛寺の末なり、有王山地蔵院と號す、本堂七間に五間、本尊地蔵の坐像、長六寸許なるを安置す(新編武蔵風土記稿より)

日野市史による延命寺の縁起

延命寺 川辺堀之内五九四
有王山地蔵院と号し、真言宗智山派に属する。本尊は延命地蔵菩薩。開山・開基はつまびらかでないが、本尊の作風が鎌倉時代と考えられるところから、中世にさかのぼると見られている。明治初年までは、隣接する山王杜別当としてその社務を司るほか、村内の神明杜・駒形明神社をも管掌していた。
本尊の延命地蔵尊は、高さ約六寸六分の木彫坐像である。秘仏として厨子内に安置され、住僧一代一度の開扉がしきたりである。この本尊を俗に枕返し地蔵と呼んだ。本尊の前立として高さ八寸二分はどの木彫地蔵菩薩坐像が安置されている。江戸期の中ごろまで、一宇の場外地蔵堂があり、右の前立はその堂の本尊ではなかったかといわれ、一説には享保の初めごろ、村内にあった元正蔵院の持仏をここに移したともいわれるが確証はない。
境内は六百六十坪で、東向きに本堂・庫裡の二棟があった。本堂は間口七間・奥行五間、庫裡は間口六間・奥行四間、共に寄棟造草葺きであったが、昭和三十年代に本堂を亜鉛板葺きに改め、その時庫裡も改築した。本堂前に阿弥陀三尊種子、文明二年(一四七○)の板碑がある。また近年、駒形裏山より移された不動明王種子塔があるが、これは疫病流行時の祈願碑であった。
本寺は多摩四国八十八か所霊場の第八十三番札所である。(日野市史より)


延命寺所蔵の文化財

  • 板碑文明二年(1470年)在銘(市指定史跡)

板碑文明二年(1470年)在銘

この板碑は、数個に割れていたが、コンクリートで補修され、原形を復元して台座の上に建てられている。台座からの高さ約110cm、幅約30cm、石材は秩父産の緑泥片岩で、頭部は二等辺三角形をなし2条の刻線がある。
種子は阿弥陀三尊、主尊の阿弥陀如来を表すキリークを梵字による光明真言で丸く囲み、天蓋・三具足(燭台・香炉・華瓶)が刻まれ、「文明二年九月廿三日逆修善根一結衆等敬白」の文字がある。
この頃民間に流行した講の結衆が、自分達の死後の往生を願って供養のためにつくった結衆板碑である。この種の板碑は数が少なく、日野市内に現存する唯一のものである。(日野市教育委員会掲示より)

延命寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 日野市史