大乗寺|多摩市和田にある日蓮宗寺院

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大乗寺|兼子伝五衛門が開基檀越、昭和46年当地へ移転

大乗寺の概要

日蓮宗寺院の大乗寺は、経王山と号します。大乗寺は、兼子伝五衛門が開基檀越となり、明治16年本化正統経王会と称して自我偈院日也上人(浜松・妙恩寺四十九世)が浅草猿屋町に創建、太平洋戦争で罹災し、昭和20年駒込に再建し大乗寺と改め、昭和46年当地へ移転したといいます。

大乗寺
大乗寺の概要
山号 経王山
院号 -
寺号 大乗寺
宗派 日蓮宗
住所 多摩市和田1505
葬儀・墓地 -
備考 -



大乗寺の縁起

大乗寺は、兼子伝五衛門が開基檀越となり、明治16年本化正統経王会と称して自我偈院日也上人(浜松・妙恩寺四十九世)が浅草猿屋町に創建、太平洋戦争で罹災し、昭和20年駒込に再建し大乗寺と改め、昭和46年当地へ移転したといいます。

境内掲示による大乗寺の縁起

当山は、明治十六年(一八八三年)二月十六日、浅草猿屋町に『本化正統経王会』として、自我偈院日也上人(浜松・妙恩寺四十九世)により創立されたものであり、開基檀越は兼子伝五衛門です。
爾来百二七年、関東大震災、昭和二十年の戦災を経て、昭和二十七年七月三日『宗教法人大乗寺』として成立しました。
経王会創立以来、初代自我偈院日也上人、二世自中院日勇上人、三世自浄院日澄法尼、四世自得院日正上人、五世本行院日壽上人即ち大乗寺開山上人であります。
本行院日壽上人(兼子惠順)は昭和九年以来その任に就き、』昭和二十年の戦災で猿屋町の経王会が焼失、戦後駒込に再建し、大乗寺と改称。
ここに大乗寺開山本行院日壽上人として、離散した檀信徒に布教を再開。当時檀信徒の墓地は巣鴨の染井霊園に存在し、昭和四十六年(一九七一年)寺院と墓地を共にと考え、駒込より現在地(多摩市和田)に移転し、本行院日壽上人と兼子京令室が幾多の困難を乗り越えて、大乗寺の基礎を築かれたのであります。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による大乗寺の縁起

記載なし(新編武蔵風土記稿より)

「多摩市史」による大乗寺の縁起

記載なし(「多摩市史」より)


大乗寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「多摩市史」