町田天満宮|町田市原町田の神社

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町田天満宮|天正年間創建、原町田七福神の恵比寿神、町田三天神

町田天満宮の概要

町田天満宮は、町田市原町田にある神社です。町田天満宮は、天正年間(1573-1593)に当地に創建、元和元年(1615)に社殿を造営したといいます。昭和39年大綱神社(飯綱神社)、日枝神社を合祀、社号を菅原神社から町田天満宮に改称したといいます。本町田の菅原神社南大谷の天神社とともに町田三天神の一つ、原町田七福神の恵比寿神です。

町田天満宮
町田天満宮の概要
社号 町田天満宮
祭神 菅原道真公、宇迦乃御魂命、大山咋命
相殿 -
境内社 稲荷神社、恵比寿神、金比羅社、八雲社
住所 町田市原町田1-21-5
祭日 9月24/25日
備考 -



町田天満宮の由緒

町田天満宮は、天正年間(1573-1593)に当地に創建、元和元年(1615)に社殿を造営したといいます。昭和39年大綱神社(飯綱神社)、日枝神社を合祀、社号を菅原神社から町田天満宮に改称したといいます。

新編武蔵風土記稿による町田天満宮の由緒

(原町田村)
天神社
社地、三百坪、無年貢地、字下にあり、わづかなる社にて、上に二間四方の覆屋あり、拝殿も二間四方にて共に西向なり、神體は坐像にして長七寸ばかり、勧請の年代を傳へず、例祭も定れることなく、農隙を待て行ふ宗保院の持。
山王社
社地三十坪、無年貢地、これも下にあり、小社にて西向なり、村持。
飯綱社
社地三十坪、無年貢地、字上にあり、小社にて南向、これも村持なり。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による町田天満宮の由緒

創建の年代は詳らかでない。元和元年(一六一五)名主三橋氏、武藤氏により社殿を再建した。明治五年原町田村の大火のさいに焼失し、明治二十三年七月本殿を相州愛甲郡中津村の彫刻師で、当時名工であった和田光親ならびに義親により造営し、明治二十七年四月覆殿および拝殿を再建した。昭和三十九年八月大綱神社を合祀し、昭和四十二年九月社殿を現在の尾州檜造銅板葺に造営した。社名はもと菅原神社であったが、昭和三十九年に町田天満宮に改称した。(東京都神社名鑑より)

「町田市史」による町田天満宮の由緒

町田天満宮(原町田)
当社は創建の年代は明らかではない。元和元年(一六一五)天満天神奉遷宮したと棟札にあり。嘉永六年(一八五三)九月一三日の神祇伯資訓王の謹書の奉額は、当社の社宝である。慶応元年(一八六五)八月の銘のある神鏡と木彫のご神像は、共に内陣に安置してある。
明治五年(一八七二)に原町田村の大火の際に類焼したので、二七年四月に再建した。現在の社殿は昭和四三年(一九六八)九月二五日の新造のものである。町田三天神の一社である。(本町田の菅原神社南大谷の天神社
昭和三九年八月二五日に大綱神社、日枝神社を合わせ奉斎した。もとは菅原神社であったが、社名を現在の町田天満宮に変更したのである。
明治三年(一八七〇)の「原町田村明細帳」には、「氏神菅原大神祭礼之儀ハ八月廿四日御輿巡行廿五日神楽執行」(史料集三の二〇二頁)とあり、現在は九月二五日であり、御輿の渡御は中止になっている。神代神楽は執行している。
祭神は菅原道真公、宇加御魂命、大山咋命大神を奉斎している。
例祭日は九月二四日、二五日である。
境内坪数一三〇八坪。町田市原町田一〇五〇番地に鎮座している。(「町田市史」より)

境内掲示による町田天満宮の由緒

当神社は文教の祖神菅原道真公を主祭神とし、日枝社・飯綱社を併せて奉斎し、天正年間この地に鎮座、町田三天神の内の一社で、本町田菅原神社、南大谷天神社と主に古くから崇敬されてまいりました。主祭神菅原道真公は、承和十二年京都に産まれ、菅家廊下と云われる儒学の家として幼少より勉学に努め、宇多天皇、醍醐天皇に信任を得て、右大臣に任命されました。しかし左大臣藤原時平の讒言により、昌泰四年太宰権帥に左遷され九州太宰府に下向、配所にあっては天を怨まず人を咎めずひらすらに皇室の安泰を祈念され、延暦三年二月二十五日、御歳五十九歳で斃去されました。(境内掲示より)


町田天満宮の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 町田市史