杣保葛神社|藤橋城主平山越前守重吉が祀った杣保神社と葛神社が合併
杣保葛神社の概要
杣保葛神社は、青梅市藤橋にある神社です。杣保葛神社は、明治6年に村社に列格した杣保神社と葛神社が明治43年に合併、杣保葛神社と称したといいます。杣保神社は、藤橋城主平山越前守重吉が元亀・天正(1570-1591)城内鎮護のため愛宕社と称して祀ったと伝えられ、江戸期には社領10石の御朱印状を拝領したといいいます。一方の葛神社の創始は不詳ながら、愛宕社内に牛頭天王社と称して祀られ、藤橋村の鎮守社だったといいます。
社号 | 杣保葛神社 |
---|---|
祭神 | 建速須佐之男命、武甕槌神、経津主神、大直日神、神直日神 |
相殿 | - |
境外社 | 天照皇大神、大物主大神、秋葉大神、豊受大神、稲荷大神(境内末社として一緒に祀る) |
住所 | 青梅市藤橋2-107 |
祭日 | 4月15日 |
備考 | - |
杣保葛神社の由緒
杣保葛神社は、明治6年に村社に列格した杣保神社と葛神社が明治43年に合併、杣保葛神社と称したといいます。杣保神社は、藤橋城主平山越前守重吉が元亀・天正(1570-1591)城内鎮護のため愛宕社と称して祀ったと伝えられ、江戸期には社領10石の御朱印状を拝領したといいいます。一方の葛神社の創始は不詳ながら、愛宕社内に牛頭天王社と称して祀られ、藤橋村の鎮守社だったといいます。
新編武蔵風土記稿による杣保葛神社の由緒
(藤橋村)
愛宕社
村の西にあり、一間に一間半の覆屋を設く、鎮座の来歴を傳へず、御朱印十石の社領を附せらる、村内寶泉寺の持。
山王社
小社、村の西にあり
山神社
小社、愛宕社の邊にあり
牛頭天王社
一間に一間半の覆屋、愛宕社地の内にあり、村内の鎮守とす、例祭六月十五日、以上寶泉寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による杣保葛神社の由緒
当初杣保神社、葛神社の二社にわかれていた。杣保神社の起源不詳。もと愛宕大権現と称し、社領十石を賜わり、別当は宝泉寺。維新の時神官に変わる。元亀・天正(一五七〇-九二)のころ、藤橋城主平山越前守重吉の域内鎮護の社といわれる。葛神社も勧請年月不詳。平山氏の再建といわれ、落城後は村民が再建修繕をなし、明治四十三年十二月八日二社を併合、杣保葛神社と称した。なお、古の杣保神社、葛神社二社を上記年月に併合したのであるが、実際にはもう一社日枝大神社があって、三社を合祀したのである。したがって、大正年間には拝殿を新築、本殿に覆舎をして、大改造をした。(東京都神社名鑑より)
「青梅市史」による杣保葛神社の由緒
杣保葛神社
藤橋(現・藤橋三丁目)に鎮座する。祭神は建速須佐之男命、武甕槌神、経津主神、大直日神、神直日神で、例祭は四月十五日である。創建年代は不明。伝えによれば、元亀・天正(一五七〇~一五九一)の頃、藤橋城主・平山越前守重吉が城内鎮護のため祀ったといわれ、幕府より社領十石を受けた。明治六年に村社に列格。同四十三年、杣保神社と葛神社(牛頭天王)を合社し、大正年間に拝殿を新築。同時に本殿の覆舎を造った。境内面積は二七五坪(九〇八平方メートル)である。(「青梅市史」より)
杣保葛神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 青梅市史