即清寺|青梅市柚木町にある真言宗豊山派寺院

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愛宕山即清寺|平安時代前期創建、多摩八十八ヶ所霊場、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所

即清寺の概要

真言宗豊山派寺院の即清寺は、愛宕山明王院と号します。即清寺は、元慶年間(877-884)に元喩和尚が開創、印融和尚代の建久年間(1190-1198)には源頼朝が畠山重忠に命じて堂宇を造営、慶安元年(1648)には江戸幕府より明王堂領として3石の御朱印状を拝領したといいます。多摩八十八ヶ所霊場51番、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所49番、関東八十八ヶ所霊場71番です。

即清寺
即清寺の概要
山号 愛宕山
院号 明王院
寺号 即清寺
住所 青梅市柚木町1-4-1
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



即清寺の縁起

即清寺は、元慶年間(877-884)に元喩和尚が開創、印融和尚代の建久年間(1190-1198)には源頼朝が畠山重忠に命じて堂宇を造営、慶安元年(1648)には江戸幕府より明王堂領として3石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による即清寺の縁起

(柚木村)明王堂
村の南方下村の境にあり、九間四面、本尊不空羂索明王の像は、智證大師の作なりと云、木の坐像にして長五尺餘、この餘智證大師の作なり、不動の木像立身にて長三尺五寸許なると、彌陀の立身長三尺許なるを安置す、鐘の銘文によるに、當處は陽成院の御宇元慶年中の草創にして、建久の頃鎌倉右大将家の尊敬により、畠山重忠が再び造營し、又印融和尚中興せし靈地なりと云々、其の後のことはすべて詳ならず、別當寺に北條陸奥守氏照が木牌あれば、永禄・天正の比は八王子にて信仰せしとおぼゆ、即入國の後も古跡なるを以御朱印を附せられ、村内にて明王免三石の地を御寄附ありしと云へり、境内は尤廣大にして、大抵五町四方ありといへど、山林を概していへば一里餘に径りたるところなり。
樓門。本堂の前にあり、竪二丈五尺、横二丈二尺、神仙及鳥獣の類を彫刻す、左右に廣目・持國の二像を置き、樓上の中央には取得太子の像長三尺許なるを安す、又百観音の木像を安置せり。
鐘楼。本堂の乾にあり、九尺四方、鐘の圓径二尺五寸、寛永七年時の住持覺珍が銘文を刻す、その略に曰、
武州多磨郡杣保内柚木縣、愛宕山即清寺明王院者、陽成天皇御宇、元慶中開闢之地也、本尊者智證刻彫之不空羂索大奮怒明王長丈餘之靈像、中略建久中征夷将軍源頼朝公歸依此尊、輙命畠山重忠、於于山腰再營殿堂數宇、山嶺再建愛宕社矣、是故西院法水澄湛于此處、宏教流潺湲于此地、中興至于印融和尚、密燈籠高輝、鳳龍作群焉、然去大永季暦從國騒動、凶徒往来、而奪當寺鐘、自爾以往梵響而不續、鯨聲廢而無興矣云々
とありて、その末再興せしことをのせり、事ながければ略す。
薬師堂。本堂の西北にあり、三間に四間、本尊は木の坐像にて長ごく寸、脇士日光・月光及十二神共に木の立身にて長七寸なり。
山王社。本堂の南の方一町餘を隔てて山の麓にあり、小社にして上屋あり。
別當即清寺
愛宕山明王院と號す、新義眞言宗、京仁和寺の末山なり、古は眞言宗にはあらざりしよし云ひ傳へたれど、中葉丙丁の災にかかりて、記録を失ひたれば何宗なりしや、又何の比改宗せしと云ことをも詳に傳へず、ただ改宗の後今の住僧まで三十二世に及べりとのみいへり、古き木牌二基を蔵す、一は権大納言征夷将軍源頼朝公、正治元年巳未天正月十三日と彫す、一は青霄院殿透岳宗閑大居士、天正十八年庚寅七月十七日とありて、背面に八王子神宮寺城主北條陸奥守氏輝としるせるなり。
寺寶。畫幅二幅。昇降の龍を畫けり、何人の筆と云は傳へざれど、昔より雨乞の龍と稱して、旱魃の年には村民の需に應じて祈雨すれば、必其しるしありと云。(新編武蔵風土記稿より)

「青梅市史」による即清寺の縁起

即清寺(愛宕山明王院) 
柚木の東端(柚木町一丁目)にある。江戸時代まで明王堂領および愛宕権現の別当寺であった。明王堂は本尊を不空羂索大忿怒明王といい、智証大師の作と伝える。元禄六年(一六九三)再興の記録があり、現在即清寺の本尊である。元慶年間(八七七~八四)元喩和尚の開創、建久年間(一一九〇-九八)源頼朝が畠山重忠に命じ造営、印融和尚が中興したという。大永年間(一五二一~二七)火災にかかり、後再建され、北条氏照にも信仰され、慶安元年、徳川氏から明王堂領三石の朱印状を寄せられた。江戸時代には京都・仁和寺未の小本寺として末寺二か寺があった。楼門建立は享保、本堂・庫裡・僧坊は明和、堂字が次々に盤備されたが、明治三十一年(一八九八)また火災にかかり、同三十九年庫裡が、昭和十四年本堂、鐘楼が再建された。寛永七年(一六三〇)鋳造の銅鏡は太平洋戦争中供出、今は新しい鐘がかかっている。また、昭和五十五年、新たに山門を建立し、偉容が整えられた。寺城は市史跡である。(「青梅市史」より)


即清寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「青梅市史」