狭山神社|西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎の神社

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狭山神社|源義家が霊夢により当地に勧請、箱根権現・三社大権現

狭山神社の概要

狭山神社は、西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎にある神社です。狭山神社の創建年代等は不詳ながら、源義家が奥州征伐の永承年間(1046-1053)に箱根権現の霊夢により当地に勧請、箱根権現とも三社大権現とも称し、箱根ヶ崎村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格していました。

狭山神社
狭山神社の概要
社号 狭山神社
祭神 伊邪那岐尊、伊邪那美尊、泉津事解男命、箱根大神、木花咲耶姫命、大山祇命、厳永姫命
相殿 -
境内社 金刀比羅神社、高尾神社、機神社、権現山稲荷神社
住所 西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎1
祭日 -
備考 -



狭山神社の由緒

狭山神社の創建年代等は不詳ながら、源義家が奥州征伐の永承年間(1046-1053)に箱根権現の霊夢により、当地に勧請、箱根権現とも三社大権現とも称し、箱根ヶ崎村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による狭山神社の由緒

(箱根ヶ崎村)三社権現社
除地、一段二畝、御林山の頂にあり、村内の鎮守なり、本社六尺に四尺南向、上屋三間に四間半、祭神は木花咲耶姫命・大山祇命・吾田津姫命の三神なり、殿ヶ谷村阿津佐美天神の神主宮崎和泉の持なり。(新編武蔵風土記稿より)

「瑞穂町史」による狭山神社の由緒

記録を失し創立年代等不明であるが、往昔は箱根権現とも三社大権現とも称していた。狭山丘陵の西端にある。箱根ヶ崎の鎮守として明治六年村社に列せられた。(「瑞穂町史」より)

「東京都神社名鑑」による狭山神社の由緒

創建年代不詳。箱根大神は永承年間(一〇四六-五三)源義家の奥州征伐の折、筥の池(狭山池)へんに陣営、箱根権現の霊夢に感じ、当地に勧請、凱旋の時に奉賽したといわれる。木花咲耶姫命ほか二柱は源頼朝の関東五百社勧請の一社と思われる。主祭神の伊邪那岐・伊邪那美と泉津事解男命は、近古時代すでに奉斎されていたと思われる。それを証する古代瓦が発見されている。幕末に雷火、明治九年と十九年に類焼、その後、昭和二十六年拝・幣殿を完成した。(「東京都神社名鑑」より)


狭山神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 瑞穂町史
  • 東京都神社名鑑