東神奈川熊野神社|横浜市神奈川区東神奈川の神社

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東神奈川熊野神社|醍醐三宝院の始祖勝覚僧正が権現山に創建、旧郷社

東神奈川熊野神社の概要

東神奈川熊野神社は、横浜市神奈川区東神奈川にある熊野神社です。東神奈川熊野神社は、金蔵院を創建した醍醐三宝院の始祖勝覚僧正が、権現山(幸ヶ谷山上)に創建したと伝えられています。江戸時代中期に当地へ遷座、明治17年には郷社に列格していました。

東神奈川熊野神社
東神奈川熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 国常立尊、伊邪那岐命、伊邪那美命
相殿 -
境内社 金刀比羅社、大鳥社、稲荷社、香取社、鹿島社
住所 横浜市神奈川区東神奈川1-1-3
祭日 例大祭6月6日以降の金・土・日曜日
備考 旧郷社



東神奈川熊野神社の由緒

東神奈川熊野神社は、金蔵院を創建した醍醐三宝院の始祖勝覚僧正が、寛治元年(1087)権現山(幸ヶ谷山上)に創建したと伝えられています。江戸時代中期に当地へ遷座、明治17年には郷社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による東神奈川熊野神社の由緒

(神奈川町西の町金蔵院項)熊野三社。
本社1間に9尺、拝殿2間半に4間。いづれも巽向なり。古は青木町の中程なる艮の方の丘にありしを、いつの頃十五日より同き十八日までなり。(新編武蔵風土記稿より)

「神奈川区史」による東神奈川熊野神社の由緒

創建は、寛治元年(一〇八七)六月一七日に醍醐三宝院宮勝覚僧正が、紀伊国(和歌山県)牟婁郡熊野権現の神霊を分祀、神奈川権現山(現幸ケ谷山上)に社祠を創建、神奈川郷の総鎮守として、熊野三社大権現と号した。
応永五年(一三九八)正月、山賊のため社祠を焼かれ、僅かな一小草祠の中に奉祠していたが、明応三年(一四九四)六月上杉建芳の被官上田蔵人入道が再建して旧観に復したが、永正七年(一五一〇)六月一一日の権現山の戦火に罹って焼失した。
六〇余年を過ぎて、金蔵院の別当恵覧僧都が郷民に謀って再興した。
慶長四年(一五九九)二月一〇日、徳川家康は金蔵院にあてて朱印地一〇石の寄進があった。正徳二年(一七一二)六月山上が遂次崩壊したので別当金蔵院の境内に遷宮し、旧地には小祠を安置し、これを本宮としたと伝へられる。
然し、明治元年一月一日、この本宮も山上から当所に移した。
同年一月七日神奈川宿の大火で類焼し、社殿・宝物、文書類の悉くが焼失した。
その後、社殿は逐次復興し、明治六年一〇月三〇日村社に、一七年四月四日郷社に、四〇年四月三〇日神饌幣帛料供進社に指定された。同年一二月二四日猟師町の産土神村社諏訪神社と船玉社、慶運寺境内にあった無格社熊野三社大権現、斉藤分にあった無格社杉山神社、元字飯田町にあった無格社熊野大神、元吉祥寺境内にあった稲荷神社とその末社であった琴平神社を合併した
明治のはじめ神仏混淆禁止の令により別当金蔵院から独立して以来社運益々隆昌を極めたが、昭和二〇年五月二九日の戦災により焼失、終戦後は駐留軍に境内地を接収され、やむを得ず西神奈川一丁目(二ツ谷共有地)に遷座、仮殿にて奉祀する。接収解除後昭和三八年八月現社殿を完成、玉垣・社務所を整備、翌三九年八月竣工奉祝祭を執行。(「神奈川区史」より)

「神奈川区宿歴史の道」掲示による東神奈川熊野神社の由緒

熊野神社
熊野神社は、平安末期に紀伊の熊野権現を祀り「権現様」として親しまれている。もと権現山(幸ヶ谷山上)にあったが、江戸中期に金蔵院境内に移り、神仏分離令により金蔵院から分かれた。
「金川砂子」のこの「夜宮祭礼」図は、江戸後期の神社のにぎわいを描いている。社殿の脇の舞台では神楽が演じられ、参道の東側には囃子屋台が並べられている。
現社殿は戦後の再建だが、境内には公孫樹の古木が残っている。(「神奈川区宿歴史の道」掲示より)

神奈川県神社誌による東神奈川熊野神社の由緒

当社の御創建は寛治元年(一〇八七)六月十七日醍醐三宝院宮勝覚僧正が紀伊国牟婁郡熊野坐大神を分祀、神奈川郷の鎮守として権現山(幸ヶ谷山上)に勧請し熊野三社大権現と称した。源義家公東征の砌武功を祈らせ給う。応永五年正月山賊等のため祠宇焼失、明応三年六月上田蔵人政盛普請奉行となり宏荘なる社殿が再建せられた。後永正七年六月権現山合戦により烏有に帰す。天正五年近郷の諸人、時の別当恵賢僧都と相計り社殿を建立、天正十年徳川家康三坂黒駒の戦に武運を祈らせられ、又上杉謀叛降伏の法を祈請、共に効ありしによって武州小机領神奈川郷の内御朱印高拾石を賜った。正徳二年(一七一二)現地に遷し奉り、旧山上には本宮として小社を安置し、社地三反八畝十歩を有していたが明治四年六月上地。慶応四年正月七日駅中の大火に類焼した。その後、社殿、神楽殿、神輿庫等を整備、明治六年村社に、同十七年四月四日郷社に、同四十年四月神饌幣帛料供進社に指定された。昭和十一年八月御鎮座八百五十年祭を執行した。同二十年五月二十九日戦災により焼失、剰え境内地を米国駐留軍により接収使用せられたるに及び西神奈川町に遷し奉り、鋭意御再建に努め、同三十八年八月現社殿を再建、その後鳥居、玉垣、氏子会館、戦没者慰霊碑を建設、同四十八年再建十周年記念事業として舞殿、社務所の増改築を完成し、旧観に復するを得た。(神奈川県神社誌より)


東神奈川熊野神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「神奈川区史」
  • 「神奈川県神社誌」