大乗寺。横浜市港北区大曽根台にある曹洞宗寺院

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轉法輪山大乗寺。都筑橘樹十二薬師霊場

大乗寺の概要

曹洞宗寺院の大乗寺は、轉法輪山箕谷峰院と号します。大乗寺は、英顔麟哲大和尚(慶長2年1597年寂)を開山第一世として、第三世生外東鐵大和尚が天正4年(1576)に創建、妻木傳蔵の母(寶珠院華窓智榮大姉、寛文13年1673年卒)を開基とします。慶安2年(1649)には土幕府より寺領5石の御朱印状を受領していました。都筑橘樹十二薬師霊場12番です。

大乗寺
大乗寺の概要
山号 轉法輪山
院号 箕谷峰院
寺号 大乗寺
住所 横浜市港北区大曽根台9-30
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 大乗寺会館
備考 -



大乗寺の縁起

大乗寺は、英顔麟哲大和尚(慶長2年1597年寂)を開山第一世として、第三世生外東鐵大和尚が天正4年(1576)に創建、妻木傳蔵の母(寶珠院華窓智榮大姉、寛文13年1673年卒)を開基とします。慶安2年(1649)には土幕府より寺領5石の御朱印状を受領していました。開山の英顔麟哲は、当寺のほか小山保寿院長津田大林寺宮山興全寺小谷福泉寺・東富岡龍珊寺を開山しています。

境内石碑による大乗寺の縁起

大倉山梅林に隣接する当寺は正式な寺名を転法輪山箕谷峰院大乗寺といい、天正四年(一五七六年)に後の三世(三台目住職)となる生外東鐵大和尚が当時の盟主・妻木傳蔵の母「宝珠院華窓智榮大姉」を開基として創立された曹洞宗のお寺です。生外東鐵大和尚は自らの先師である英顔麟哲大和尚を招じて開山(最初の住職)とし、さらに師である玉珊智存大和尚を二世(二代目住職)とし、自らは第三世になったのです。本寺は相模三ヶ寺の著名な名刹の一つである、厚木市三田の東福山清源院であり、開山である英顔麟哲大和尚は本寺、天巽慶順系の名僧でありました。本尊は釈迦牟尼仏であり脇士に寅年御開帳の薬師如来が安置されております。
江戸時代には寺領五石を拝領し、慶安二年(一六四九年)当時の将軍徳川家光から朱印證状を付与されたのをはじめ、現在九通の朱印證状が現存しています。また江戸時代終わりごとから明治の初めにわたって、寺子屋を開いていた歴史があります。 (境内石碑より)

新編武蔵風土記稿による大乗寺の縁起

(大曾根村)大乗寺
村の南の方にあり、曹洞宗にて相州愛甲郡三田村清源院末轉法輪山箕谷峰院と稱す、客殿十間半に六間巽に向ふ、本尊釋迦の坐像を安ず、長二尺六寸あまり、脇士文殊普賢共に坐像にて長一尺六寸九分、開基は妻木傳蔵と云ものの母なり、法諡を寶珠院華窓智榮大姉と云、寛文十三年八月二十六日卒す、傳蔵は旗下の士今の小源太が先祖なり、開山を英顔麟哲と云、慶長二年七月二十二日寂す、大猶院殿の御代寺領五石の御朱印を賜といふ。
白山稲荷合社。門外にあり小祠境内鎮守なり。
地蔵堂。門に向て左にあり九尺四方、本尊長四尺七寸の坐像を安ず。
衆寮。門を入て左の方にあり六間に二間餘。(新編武蔵風土記稿より)


「横浜市史稿」による大乗寺の縁起

大乘寺
位置
大乘寺は、轉法輪山箕谷峯院と號し、神奈川區大會根町七百十四番地に在る。
境内は二段一畝二十步。官有地。縣下愛甲郡三田村清源院の末寺で、寺格は三等法地五十七級である。
沿革
天正四子年、當寺第三世生外東鐵和尙が、當所の鄕士妻木平十郞重門の室、寶樹院殿華窓智榮大姉の歸依に依つて創立した所である。時に東鐵は、其先師たる相州愛甲郡三田村清源院第五世英顏麟哲和尙を請じて開山とし、更に師玉珊智存和尙を二世とし、己れは第三世に列した。故に第三世生外東鐵大和尙を以て當寺の中興と稱する。慶安二年八月十七日、將軍家光より寺領五石餘、竝に山林・竹木免除、寺中境内除地の朱印證狀を附與された。其外、常憲院・有德院・淳信院・浚明院・文恭院・眞德院・溫恭院・昭德院の安堵狀、都て九通を今尙所藏して居る。第十四世法雲桓隆和尙代、明和六年十一月、庫裡竝に地藏堂を再建し、第二十三世内野眠嶺代、堂宇を建立した。爾後年所を經て荒廢したを、明治二十五年再建し、舊觀を改めた。南綱島町東照寺を末寺として扶持してゐる。
本尊
本尊は釋迦牟尼佛。
堂宇
今の堂宇は、本堂桁行七間、梁間六間、亞沿葺。・庫裡桁行七間、梁間三間、亞沿葺。・山門桁行九尺、梁間八尺、亞沿葺。等である。(「横浜市史稿」より)

大乗寺の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿」