勧行寺。横浜市西区南軽井沢にある法華宗陣門流寺院

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学陽山勧行寺。横浜市西区南軽井沢

勧行寺の概要

法華宗陣門流寺院の勧行寺は、学陽山と号します。勧行寺は、三ツ沢豊顕寺三世日養が文禄4年(1595)に隠居寺として創建、豊顕寺第五世勧行院日満(当寺第四世)が慶安年間(1648-1651)一寺と成し、学陽山勧行寺と号したしたといいます。

勧行寺
勧行寺の概要
山号 学陽山
院号 -
寺号 勧行寺
住所 横浜市西区南軽井沢9
宗派 法華宗陣門流
葬儀・墓地 勧行寺楠町会館
備考 -



勧行寺の縁起

勧行寺は、三ツ沢豊顕寺三世日養が文禄4年(1595)に隠居寺として創建、豊顕寺第五世勧行院日満(当寺第四世)が慶安年間(1648-1651)一寺と成し、学陽山勧行寺と号したしたといいます。

「横浜西区史」による勧行寺の縁起

学陽山勧行寺(法華宗、本山新潟県三条市本成寺、陣門流)
南軽井沢九。住職都築哲信。本尊大曼荼羅、一塔両尊。文禄四年(一五九五)三ツ沢豊顕寺(京都本禅寺末、越後本成寺預支配)第三世学陽院日養が、この地に隠居所として庵室を構え、学陽山と称したのが始まりで、豊顕寺第五世勧行院日満(当寺第四世)が慶安年間(一六四八〜五一)これを一寺と成し、学陽山勧行寺と号した(「市史稿仏寺編」)。境内には、天然理心流近藤内蔵助長裕(文化四年一〇月一六日没)の墓(供養塔)や、作家北林透馬(清水金作、昭和四三年一一月一三日没、六三才)の墓がある。(「横浜西区史」より)

新編武蔵風土記稿による勧行寺の縁起

(神奈川宿青木町)勧行寺
西側にあり。日蓮宗越後国蒲原郡本成寺の末、学陽山と号す。開山日養文禄4年の起立なり。此人は慶長六年五月十六日寂せり。本尊三宝客殿に安ぜり。客殿は6間半にて南向きなり、前に石階あり。
稲荷社、境内に入て右の方にあり。小祠なり。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿 佛寺編」による勧行寺の縁起

勸行寺
位置
勤行寺は、學陽山と號し、神奈川區靑木町東經井澤千九百六十七番地にある。
境内は五百十五坪。官有地四百九十坪、民有地二十五坪。法華宗總本山本成寺(越後國蒲原郡本成寺。)の末寺である。
文祿四年四月、豐顯寺第三世學陽院日養の草創した所である。文政・天保の頃は、六間半の客殿を備へ、境内除地四反五畝步を有したとふ。明治二十年、庫裡を改築し、大正八年、本堂を再建したところ、大正十二年九月一日、大震災に罹り、多大の損害を被つたが、幸に到潰を免れた。
本尊
本尊は十界勸請大曼荼羅である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)


勧行寺所蔵の文化財

  • イチョウ(横浜市銘木古木指定)

勧行寺の周辺図

参考資料

  • 横浜西区史(西区教育委員会)
  • 「横浜市史稿 佛寺編」
  • 新編武蔵風土記稿

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿