飯田神社|横浜市泉区上飯田町の神社

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飯田神社|飯田五郎家義創建の伝承、飯田学校に供用

飯田神社の概要

飯田神社は、横浜市泉区上飯田町にある神社です。飯田神社の創建年代は不詳ですが、飯田五郎家義(12世紀後半)が創建したとも飯田三郎能信が延応元年(1293)奉幣したとも伝えられ、境川沿いの多く点在する鯖(左馬)神社の一つだといいます。明治6年村社に列格、明治20年頃には飯田学校の校舎として供用されていました。

飯田神社
飯田神社の概要
社号 飯田神社
祭神 左馬頭源義朝
相殿 大山咋大神、宇迦之御魂大神
境内社 -
住所 横浜市泉区上飯田町2517
祭日 例大祭9月21日
備考 旧村社



飯田神社の由緒

飯田神社の創建年代は不詳ですが、飯田五郎家義(12世紀後半)が創建したとも飯田三郎能信が延応元年(1293)奉幣したとも伝えられ、境川沿いの多く点在する鯖(左馬)神社の一つだといいます。明治6年村社に列格、明治20年頃には飯田学校の校舎として供用されていました。

新編相模国風土記稿による飯田神社の由緒

(上飯田村)飯田明神社
鯖明神とも唱ふ、村の鎮守なり、稲荷・山王を合祀す、村持下同。(新編相模国風土記稿より)

泉区役所掲示による飯田神社の由緒

飯田神社
境川や和泉川沿いに見られる「サバ神社」の一社で、祭神は源頼朝を主神に宇迦之御魂大神・大山咋神です。伝承によると、飯田五郎家義がお祀りしたといわれています。縄文時代、境川沿いは入り海で、神社の境内の土手から縄文後期の人々が使った注口土器が出土しました。境内の神楽殿は、明治20年頃、飯田学校校舎として使われていました。鳥居前には地蔵像、七観音像、庚申塔、道祖神が立っています。(泉区役所掲示より)

「神奈川県神社誌」による飯田神社の由緒

創建年代不詳であるが、社伝には、「延応元年、飯田三郎能信当郷の地頭に復すや篤き奉幣の儀あり、猶知行平山源太郎の崇敬特に深かかし社なり」と伝え、寛政十二年二月式部権大輔菅原長量が「飯田大明神」の神号額を奉納、また文化十三年二月には神祇管領ト都良長が京都から参向奉幣、祝詞を奏上しているから、有数な古社であったことが知られる。
新編相模風土記稿に「飯田明神社、鯖明神とも唱ふ、村の鎮守なり、稲荷、山王を合祀す、村持」とある如く、境川沿いに多く祀られている往古からの相模七鯖の一社で、境の神としての幾多の伝承も遁されている。
明治六年村社に列した。現社殿は昭和三十年の新築になる。(「神奈川県神社誌」より)


飯田神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿