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天祖神社|葛飾区東新小岩の神社、旧上小松村鎮守

天祖神社の概要

天祖神社は、葛飾区東新小岩にある神社です。天祖神社は、正福寺法印権大僧都永盛が寛文6年に創建、旧上小松村の鎮守として奉祀したといいます。

天祖神社
天祖神社の概要
社号 天祖神社
祭神 天照皇大神
相殿 素盞男尊、経津主命
境内社 浅間神社、水神社、稲荷神社、八坂神社
例祭日 8月25日
住所 葛飾区東新小岩4-23-8
備考 旧上小松村鎮守



天祖神社の由緒

天祖神社は、正福寺法印権大僧都永盛が寛文6年に創建、旧上小松村の鎮守として奉祀したといいます。

葛飾区神社調査報告による天祖神社の由緒

「新編武蔵風土記稿」上小松村の条に「香取社 神明・鹿島を相殿トス。村ノ鎮守ニシテ。西蔵院ノ持。末社稲荷」とあるのが当社である。当社も葛西御厨時代に伊勢・香取両神宮を勧請して村の鎮守としたものであろう。社伝に、寛永6年(1666)上小松村正福寺永盛の創建というのは、同年社殿造立の棟札によったものと思われる。社殿はその後、延享2年(1745)2月、文久3年(1863)10月にも再建され、明治初年、社号を天祖神社と改め、明治21年10月拝殿を改築し、昭和40年10月、もと摂社であった近傍の八坂神社を合併して末社とし、同43年10月新社殿が造営された。(葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告より)

天祖神社境内石碑による天祖神社の由緒

天祖神社由緒
本神社は寛文6年8月11日上小松村正福寺法印権大僧都永盛によって創立せしものなり。「葛西誌」上小松村は下小松村の北に続けり正保の田文に伊那半十郎御代官上小松村石高270石54合に正福寺寺領10石と出せり。
香取社、天王社、正福寺。新義真言宗山城国醍醐三宝院なり御朱印寺領10石村内に賜ふ。則本神社境内も寺領の内なり。
正福寺は享保4年よりしばしば右徳院近郷御猟になり御善所と定められ香取社へも御体を休ませ給ふと云う。寛永年中寺院大破となりしより其後は渡御もなかりしと云えり。昔より香取社と称し別当は香取山西蔵院(元亀中興明治初年廃寺)なり。
併して社号変更は明治初年頃なりしか不詳なり。
現在の社殿(昭和42年11月末社として境内西側に存置す)文久3年10月の造営なり。
明治6年、太政官布告令により社格無格社となる。
昭和12年10月11日、拝殿造営。
昭和40年10月27日、天祖神社と八坂神社との合併を東京都知事の認証を得て、八坂神社は天祖神社の末社となる。
昭和42年11月末日、天祖神社改築地鎮祭執行。
昭和43年6月20日、天祖神社上棟祭を執行す。
昭和43年10月12日、天祖神社八坂神社遷宮式執行。
宮司 亀井悦造 記。
歴代奉仕宮司名
明治元年御改政より、篠崎村永屋氏寿氏兼勤拝命
明治元年11月、平野重綱氏祠掌兼勤拝命
明治15年5月、金町葛西神社兼勤
明治41年12月12日、西小松川香取神社社司亀井信太郎兼勤
昭和11年3月18日、西小松川香取神社宮司亀井悦造兼勤


天祖神社所蔵の文化財

  • 句碑(葛飾区指定文化財)

区登録有形民俗文化財 句碑(力持連中)

葛飾とその周辺では、昭和20年頃まで各地で草相撲が行われていました。
この句碑は明治29年5月に東京府下、「小松川 清吉」ほか6名の力持連中によって奉納されたものです。。中央に力士(力持連中)たちの心意気が詠まれています。
名をあげて 若き力の 花納
周辺の力石(さし石)を含めて、区内における草相撲のさかんであった様子を示す資料です。(葛飾区教育委員会掲示より)


天祖神社の周辺図


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