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浄国寺。関東十八檀林、さいたま市岩槻区加倉にある浄土宗寺院

浄国寺の概要

浄土宗寺院の浄国寺は、仏眼山英隆院と号します。鴻巣宿勝願寺の円蓮社総誉清巌上人が、その隠居寺として天正15年(1587)創建したと伝えられます。天正19年には寺領50石の御朱印状を拝領、また浄土宗関東十八檀林の一つとして数多くの末寺を擁していました。

浄国寺
浄国寺の概要
山号 仏眼山
院号 英隆院
寺号 浄国寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 さいたま市岩槻区加倉1-25-1
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 浄国寺会館、墓地販売中
備考 岩槻みどり幼稚園



浄国寺の縁起

浄国寺は、鴻巣宿勝願寺の円蓮社総誉清巌上人が、その隠居寺として天正15年(1587)創建したと伝えられます。天正19年には寺領50石の御朱印状を拝領、また浄土宗関東十八檀林の一つとして数多くの末寺を擁していました。

(加倉村)浄國寺
浄土宗、関東十八檀林の一なり。京都知恩院末、佛眼山英隆院と号す。寺領50石は天正19年に賜へり。寺伝に云当寺は円蓮社総誉清巌の草創なり。この僧元足立郡鴻巣宿勝願寺に住せしが、太田十郎氏房俗縁により深く帰依し、清巌退隠の為当所にて寺地を与へしにより、天正15年移りて起立せしと云。其時の文書あり。其文に、
為勝願寺隠居、於当地一寺進之候、一簾後建立尤不可有相違者也、仍如件、
天正15年丁亥8月11日 氏房花押
勝願寺
是證とすべし。尤この清巌は道徳の聞へし世にしる所にして、「浄土高僧傳」に載て云、釋清巌薙齢薙髤、大照山当時講学有名少壮折論匠、甞翺翔殊親灸禅林之硯老、故凌達禅教之幽玄、及盛年渉獵、大蔵常棲止佛眼山、丕光闡蓮乗書為岩築浄国寺第一組、放流洋々于今博洽、学士鼓蕩法雷実6月27日、遷化于眼山云々。
又傳燈総系譜に号終願相州小田原人、嗣法於河越感誉、又受鎌倉光明寺看誉、初住武州平方馬蹄寺、(第二世)又為蓮馨寺学頭、元亀元年開建上州高崎大信寺、天正15年開基武州埼玉郡岩附浄国寺、森立法幢、文禄元年6月27日寂と見ゆ。是等にても高僧なること知るべし。それば前に云如く、当寺は氏房の信仰浅かざるにより、天正16年岩附より境内法度の朱印を出せり。其文に
於当寺所化法談執行、依之聴衆見物被下之族、惣別横合狼藉不可有之、若違犯之輩有之者、記交名可被遂披露、則可処厳科旨、依仰状如件
天正16戌子5月13日 宮城四郎兵衛 浄国寺
これによりても古へより盛なる寺なること知らる。元和年中阿部備中守正次、岩槻の城主となりし時、菩提所とせり。故に其子対馬守に至り、供養料として綾瀬川の辺なる新田を寄附せしが、小笠原佐渡守城主となりし時、其事止しと云。
本尊は三尊の弥陀なり。何れも安阿弥の作にて立像なり。この本尊は記主禅師深く信仰ありて、上足寂慧上人に譲り与へ、則鎌倉金戒光明寺の本尊とせり。其後同寺三世定慧上人の時、記主禅師の草創なるを以て、鴻巣勝願寺へ移して本尊とせしを、清巌和尚又当寺の本尊とせしと云。(新編武蔵風土記稿より)


浄国寺所蔵の文化財

  • 浄国寺日鑑七十七冊(埼玉県指定文化財)
  • 仏眼舎利宝塔(さいたま市指定文化財)
  • 岩槻藩主阿部家の墓(さいたま市指定文化財)

浄国寺日鑑七十七冊

浄国寺日鑑は、同寺の歴代住職「執事」が記した毎日の公用日記です。享保元年(一七一六)六月から明治六年三月に至る百五十七年間にわたるもので、七十七冊からなります。幕末期から明治初年分を欠いていますが、浄国寺の法事・人物の往来・寺領関係の記事などが主に記されています。
長い年月にわたるこの日鑑は、県下でも類例が少なく、往時を知る貴重な史料となっています。(宗教法人浄国寺・さいたま市教育委員会掲示より)

仏眼舎利宝塔

釈迦如来の舎利宝塔は、唐の玄奨三蔵が印度の那蘭陀寺から持参し、大宗行程に奉った。玄宗皇帝は、日本へ七種の宝を贈られた。この舎利宝塔は、七種の中の一つである。その後、熱田神宮に奉納されていたが、当寺が創建された時、加須市三俣龍蔵寺から贈られ、山号を仏眼山と称することになった。
釈迦如来の舎利を礼拝供養する舎利信仰は、古くから行われているが、当寺では毎年3月15日を仏眼忌として舎利法会を行い、開帳している。
この宝塔は、当山第7世真阿上人の時、信徒52人の奉加を得て、承応3年(1654)に造塔された。高さ75cmの多宝塔型の仏舎利奉安塔で、金銅鋳造の精巧を極めたものである。
本県では、秩父三峰神社の銅板打出絵馬とともに江戸初期の金工技術を代表する作品であり、また、当時の舎利信仰を物語る貴重な遺産である。(岩槻市教育委員会掲示より)

岩槻藩主阿部家の墓

江戸時代前期の岩槻藩主阿部家の二代にわたる藩主とその母、殉死した家臣の墓と燈籠で、計十二基からなります。境内二ヶ所に分かれ、本堂脇には阿部家初代藩主正次の墓《五輪塔》と三代藩主定高の墓《五輪塔》、定高に殉じた家臣小倉與兵衛政光の墓《五輪塔》の他、三対六基の燈籠があります。また、別の区画には、二代藩主重次の後室で、三代定高の母・正寿院の供養朗《宝篋印塔》と一対二基の燈籠があります。
江戸時代前期の藩主の墓・燈籠がまとまって遺存し、岩槻藩や阿部家の菩提寺としての浄国寺を建久する上で基本的な資料となっています。(宗教法人浄国寺・さいたま市教育委員会掲示より)


浄国寺の周辺図




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