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新善光寺。横浜市南区三春台にある天台真盛宗寺院

新善光寺の概要

天台真盛宗寺院の新善光寺は、率渓山と号します。新善光寺は、明治13年西山智音が花咲町に布教所を創設、明治16年に新善光寺と公称、明治20年当地に移転したといいます。

新善光寺
新善光寺の概要
山号 率渓山
院号 -
寺号 新善光寺
住所 横浜市南区三春台133
宗派 天台真盛宗
葬儀・墓地 -
備考 -



新善光寺の縁起

新善光寺は、明治13年西山智音が花咲町に布教所を創設、明治16年に新善光寺と公称、明治20年当地に移転したといいます。

「南区の歴史」による新善光寺の縁起

率渓山新善光寺
明治一三年四月、西山智音が、花咲町五丁目六七番地に天台宗真盛派の布教所を創設した。明治一六年六月一一日、始めて新善光寺の寺号を公称し、同二〇年三月、智音が現在の地を境内として、堂字を移し、信洲善光寺の阿弥陀一光三尊の分躰を本尊とした。
同二八年、福永実音が二世住職となって、仏殿を建立、寺門興隆の発願のもとに精進努力して堂字を完成した。(「南区の歴史」より)

「横浜市史稿 佛寺編」による新善光寺の縁起

新善光寺は率溪山と號し、中區南太田町庚耕地千三百四十七番地にある。境内は五百五十三坪。滋賀縣眞盛派西敎寺の末寺で寺格は二等地である。
明治十三年四月、西山智音が當市花咲町五丁目六十七番地に眞盛派の布敎所を創設した。これが當寺の權輿である。明治十六年六月十一日、始めて新善光寺の寺號を公稱し、同二十年三月、智音が其所有地を施入して現在の境内を開き、堂宇を移し、三寶常住久遠の靈場となした。同二十八年八月、福永實音が第二世の住職となり、佛殿建立、寺門興隆の素願を發し、精進努力し、遂に克く現在の堂宇の完成を遂げた。
本尊は阿彌陀三尊で、信州善光寺の一光三尊如來の分體である。
現今の堂宇は、本堂(桁行六間、梁間七間。)・庫裡(桁行十三間、梁間五間。)・書院(桁行五間半、梁間三間。)である。
境内佛堂の閻魔堂は、第二世福永實音の創建である。現住第三世隆賢、(桁行二間半、梁間四間)の堂宇を再建。大正十二年九月一日の大震災に倒潰したが、其後復興を遂げた。本尊は閻魔大王である。
待雲庵は、第二世福永實音が念持佛聖觀音を安置する爲めに造立したもので、桁行三間、梁間三間半の建物を備へたが、同前震災によりて倒潰した。
檀家六百戸。
開山開基は西山智音、第二世は福永實音、第三世は現住の福永隆賢である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)


新善光寺の周辺図


参考資料
  • 「南区の歴史」