舞岡八幡宮|横浜市戸塚区舞岡町の神社

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舞岡八幡宮|白幡が空に舞ったので村名を舞岡と改め、石清水八幡宮を勧請

舞岡八幡宮の概要

舞岡八幡宮は、横浜市戸塚区にある八幡宮です。舞岡八幡宮は、当地一帯が腰(越)村と呼ばれていた頃、白幡が空に舞ったので村の名を舞岡と改め、石清水八幡宮を勧請したといいます。江戸期には舞岡村の鎮守社として祀られ、明治6年村社に列格、明治41年村内の無格社(第六天社・若宮八幡社・御嶽社)を合併、舞岡神社と改称、昭和41年以後、旧来の社号「舞岡八幡宮」としたといいます。

舞岡八幡宮
舞岡八幡宮の概要
社号 舞岡八幡宮
祭神 誉田別命
相殿 孝安天皇、仁徳天皇、国常立命、息長足姫命、比咩大神
境内社 日枝社、稲荷社、愛染社、疱瘡社、疫神社、英霊殿
住所 横浜市戸塚区舞岡町946
祭日 例大祭4月15日
備考 -



八幡宮の由緒

舞岡八幡宮は、当地一帯が腰(越)村と呼ばれていた頃、白幡が空に舞ったので村の名を舞岡と改め、石清水八幡宮を勧請したといいます。江戸期には舞岡村の鎮守社として祀られ、明治6年村社に列格、明治41年村内の無格社(第六天社・若宮八幡社・御嶽社)を合併、舞岡神社と改称、昭和41年以後、旧来の社号「舞岡八幡宮」としたといいます。

新編相模国風土記稿による八幡宮の由緒

(舞岡村)
八幡宮
村の鎮守なり、祭禮十一月十四日社地に老杉あり圍二丈、神木と稱す。
末社。山王、稲荷、愛染、疱瘡神、天神
神主關伯耆、吉田家の配下なり。
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神明宮
持同。
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若宮
羽黒社
白旗社
第六天社二
白山社
山王社
五靈社
蔵王社
子ノ神社
飯綱社(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による八幡宮の由緒

往古当地を「腰村」と称したが、乾元元年(一三〇二)三月、白旗が空に舞うという奇瑞が起ったのに因み、腰村を「舞岡村」と改称し、且つ石清水八幡宮を勧請したという。その旗は中郡落旗村(現、秦野市鶴巻)に落ちたと伝える。
嘉吉元年・寛文二年・同七年・文政年間・天保年間・明治四十五年にそれぞれ改築を加えているが、文化十三年三月には領主・松平容衆が当神社で三浦・鎌倉両郡合同の祈年祭を行い、その祝詞が現存する。
明治四十一年村内の無格社(第六天社・若宮八幡社・御嶽社)を合併して舞岡神社と改称したが、昭和四十一年以後、旧来の社号「舞岡八幡宮」に復した。
神職は往古より世襲で、鶴ケ岡奉仕の縁により、所謂「鎌倉神楽」を今に伝え、例祭に奉奏する。(神奈川県神社誌より)

「戸塚区郷土史」による八幡宮の由緒

祭神は誉田別命・孝安天皇・仁徳天皇・国常立命・息長足姫命・比咩大神の六柱。昔この村は腰村と呼ばれていたが、乾元元年(一三〇二)三月白旗が空に舞ったので舞岡と改称すると共に、吉祥のしるしに因んで石清水八幡宮を祭神として迎え神社を創立した。その後文化十三年には領主松平容衆により三浦、鎌倉両郡の祈年祭を当社で修し、越えて明治四十一年八月、村内の第六天社・若宮八幡の御嶽社を合祀し、昭和四年には舞岡神社と改称、同四十一年六月二十一日に至り舞岡八幡宮に復した。
神事 神職が行う湯花神楽を伝う。(「戸塚区郷土史」より)

境内掲示による八幡宮の由緒

昔、当地一帯を腰(越)村と呼んで居た頃、白幡が空に舞ったので村の名を舞岡と改めたと云ふ。その幡は当地の西方三十キロの落幡村(現秦野市)に落ちたと傳へるが、この奇瑞に因んで石清水八幡宮を勧請したのが当神社の始めであって、時に乾元元年(紀元一、九六三・西暦一三〇二)三月であった。爾来、村の鎮守として崇敬せられ明治六年村社、大正六年幣帛供進指定村社(例祭の折、市区町村長が装束を着けて幣帛を奉る)と成り、昭和二十八年宗教法人と成って現在に至る。
相模國鎌倉郡豊岡村はやがて神奈川県鎌倉郡川上村舞岡と成り、昭和十四年には横浜市域の拡大に依って横浜市戸塚区舞岡町と成った。昭和三十年代末の宅地造成に伴って南舞岡が生まれたが、当神社の氏子区域であることは變らない。(境内掲示より)


舞岡八幡宮の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿