覚王山宝泉寺|南葛八十八ヶ所、荒綾八十八ヶ所、新四国四箇領八十八ヵ所
宝泉寺の概要
真言宗豊山派の宝泉寺は、覚王山密厳院と号します。慶長17年(1612年)僧宥静法印が創建したと伝えられます。南葛八十八ヶ所霊場63番、荒綾八十八ヶ所霊場18番、西新井組中川通四箇領八十八箇所16番です。
山号 | 覚王山 |
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院号 | 密厳院 |
寺号 | 宝泉寺 |
住所 | 葛飾区青戸1-18-16 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | 墓地販売中 |
備考 | 南葛八十八ヶ所霊場63番札所、荒綾八十八ヶ所霊場18番札所 |
宝泉寺の縁起
宝泉寺は、慶長17年(1612年)僧宥静法印が創建したと伝えられます。江戸時代には肥前国平戸藩主松浦家の隠居寺となっていました。
葛飾区寺院調査報告による宝泉寺の縁起
1612年宥静法印の創立。旧名主の書上帳によると、1744年、1820年、1835年の三回にわたる火災のため、多くの記録を失い、由緒は明らかでない。しかし当寺はもと肥前国平戸藩主松浦家の隠居寺として同家の庇護を受けた。墓地内にある松浦壱岐守の墓は、昭和2松浦家の菩提寺下谷広徳寺(現練馬区)の墓地会葬のとき、関係者の要望によって移したもので、墓前にその由来を東岳荒木勉の書いた記念碑が建っている。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
新編武蔵風土記稿による宝泉寺の縁起
宝泉寺。
新義真言宗青戸村宝持院門徒、覚王山密蔵院と号す。慶長17年僧宥静といへるが草創する所なり。因てこれを開山と称す。示寂の年月を失う。本尊大日。
地蔵堂。(新編武蔵風土記稿より)
宝泉寺の周辺図