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上田端八幡神社|上田端の鎮守、争いの杉伝承、北区田端の神社

上田端八幡神社の概要

上田端八幡神社は、北区田端にある八幡神社です。上田端八幡神社は、鎌倉幕府が奥州藤原氏を滅ぼした後、当地の豪族豊島氏を奥州奉行に任じたことから、その戦勝の紀基として鎌倉鶴ケ岡八幡宮を当地に勧請したといいます。また境内社の白髭神社は、争いの杉の伝承を伝えています。

上田端八幡神社
上田端八幡神社の概要
社号 上田端八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 猿田彦命
境内社 白髭神社、稲荷神社、大山祗神社
住所 北区田端4-18-1
備考 上田端村鎮守、争いの杉伝承



上田端八幡神社の由緒

上田端八幡神社は、鎌倉幕府が奥州藤原氏を滅ぼした後、当地の豪族豊島氏を奥州奉行に任じたことから、その戦勝の紀基として鎌倉鶴ケ岡八幡宮を当地に勧請したといいます。

北区教育委員会掲示による上田端八幡神社の由緒

現在の田端は、田端村と呼ばれ、村内は上田端と下田端という二つの地域にわかれていました。各々の地域には、鎮守の八幡神社がまつられており、こちらの八幡神社は上田端の住民の鎮守で大龍寺が別当寺と勤め、もう一つの八幡神社は東覚寺が別当となっていました。
祭神は品陀別命で、境内には稲荷神社・大山祗神社および白髭神社がまつられています。このうち白髭神社は、現在の田端中学校の敷地内にあった神社で、その付近の畑の中には、争いの杉と呼ばれる神木がありました。木の高さは二丈五尺余、幹の太さは九尺位、遠くから望むと松の木にも見えたといわれます。
そこで奥州平泉の高館に源義経を討伐に向かう途中の畠山茂忠が、これを見て家来と松の木か杉の木かと争ったという伝承から争いの杉という名称で呼ばれるようになったといわれています。またこの杉の木は田端の三角(三岳)屋敷という場所にあり、太田道灌の争いの杉であるとの室町時代の伝承を述べる記録もあります。
このように境内の白髭神社は、鎌倉から室町時代の貴重な伝承を伝えており、この伝承は村の鎮守の八幡神社と共に、北区の中世社会を考えるうえで重要な資料といえます。(北区教育委員会掲示より)

「東京都神社名鑑」による上田端八幡神社の由緒

田端八幡神社は古扁額に八幡宮とあり、田畑八幡宮と称した(江戸期)。戦後神社宗教法人として登記のとき、田端八幡神社と改称し今日に至る。創建は鎌倉幕府成立し、全国統一のため奥羽地方追討軍を起こし、奥州平泉に藤原氏を滅ぼし、凱戦の途次この地の豪族豊島氏を奥州奉行に任じ、その舘に軍旅を駐留、その戦勝の紀基として鎌倉鶴ケ岡八幡宮を勧請奉祀せしめた。昭和二十年四月十九日、戦火により社殿(大正十二年五月新築)、社務所(旧田端村々役場を改造)等を焼失。樹齢九百年の大銀杏をはじめ榎、欅の大樹も失う。(「東京都神社名鑑」より)


上田端八幡神社の周辺図