亀戸香取神社|亀戸七福神の大国神・恵比寿神
亀戸香取神社の概要
亀戸香取神社は、江東区亀戸にある香取神社です。亀戸香取神社は、藤原鎌足が東国下向の時に勧請したとも、応安4年(1371)鎮座とも伝えられます。亀戸七福神の大国神、恵比寿神としても知られています。
亀出神社(江東区大島3-31-15)、亀戸水神宮(江東区亀戸4-11-21)の兼務社です。
社号 | 香取神社 |
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祭神 | 経津主神 |
相殿 | 武甕槌神、大己貴神 |
境内社 | 水神社、三峰神社、熊野神社、稲足神社、天祖神社 |
祭日 | - |
住所 | 江東区亀戸3-57-22 |
備考 | 亀戸七福神の大国神、恵比寿神 |
亀戸香取神社の由緒
亀戸香取神社は、藤原鎌足が東国下向の時(665年)に勧請したとも、応安4年(1371)鎮座とも伝えられます。
新編武蔵風土記稿による亀戸香取神社の由緒
(亀戸村)香取社
当村の鎮守なり。祭神は経津主神なり。右に健御雷神、左に大杉大明神を合せ祀れり。由緒に云。当社は天智天皇4年乙丑大職冠鎌足東国下向の時勧請し、太刀一腰を納め朱雀院御宇俵藤太秀郷、将門追討の時参籠して弓矢を納めし事あり。其後大永3年当社を再興し、又応安4年修造云々とみえたり。此事他の所見なければ信ずべきものにはあらされど、寺社帳に応安4年鎮座の由載たれば古社なることは論なかるべし。享保の頃当社へ常州阿波郡大杉明神飛来せりとて、其頃参詣群集せりと云。
末社子守稲荷金比羅。
旅所、北十間川の北側にあり、僅の除地なり。
神主香取中務。吉田家の配下なり、旧家なれど家系等も傳へず。
神明社
往古大樹の榎神木たりしが、此木枯たりしとき天下泰平の文字を虫食しより、泰平神明と尊称すと云。香取中務(香取社)持 (新編武蔵風土記稿より)
「江東区の民俗城東編」による亀戸香取神社の由緒
「香取神社御由緒記」によれば昔亀戸は小さな島からなり、島の形が亀に似ているところから亀島、亀津島とも呼ばれていた。天智天皇四年(六六五)藤原鎌足公が東国御下向の際、この亀島に船を寄せられ、香取大神を勧請され、太刀を一振を納め、旅の安泰を祈り、神徳を奉るのが創立の起因であるという。建武年間(一三三四~三八)に香取伊賀守矢作連正基が始めてこの社に奉仕し、香取神社の初代神主となり、応安四年(一三七一)社殿再建、大永三年(一五二三)修造を営み、寛永三年(一六二六)本殿改築、文政年間(一八一八~三〇)拝殿造営、戦災で本殿炎上し、昭和二三年社殿再建、昭和六三年現社殿建立という。
藤原鎌足は平安時代に栄華を極めた藤原氏の始祖である。藤原氏は氏神として春日神社を奈良に創建し、鹿嶋・香取なども祀る。そのところから、亀戸香取神社に藤原鎌足と香取を結びつける伝承が生まれ、相殿に鹿嶋の神武甕槌神を祀るのであろう。なお、香取神社は南葛飾郡に広く分布しており、下総の香取神宮の社領がこの地域に存在していたためだと考えられている(『江東区史』)。(「江東区の民俗城東編」より)
亀戸香取神社所蔵の文化財
- 石造燈籠(明治28年在銘)(江東区登録文化財)
- 石造燈籠(寛政6年在銘)(江東区登録文化財)
- 紙本淡彩道祖神祭図(歌川広重筆)一幅(江東区登録文化財)
- 木造八幡神像(江東区登録文化財)
- 石造狛犬(寛政7年在銘)一対(江東区登録文化財)
- 銅鏡重定作(江東区登録文化財)
- 銅製柄鏡余廣作(江東区登録文化財)
- 神輿(江東区登録文化財)
- 神輿(江東区登録文化財)
- 土錘六個(江東区登録文化財)
- 棟札4枚(江東区登録文化財)
- 亀戸惣鎮守葛飾神社号標石文政7年在銘(江東区登録文化財)
- 狛犬(残欠)文化2年在銘(江東区登録文化財)
亀戸香取神社の周辺図