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大楽寺|大田区新蒲田にある真言宗智山派寺院

大楽寺の概要

真言宗智山派寺院の大楽寺は、金剛法山と号します。天応3年(1319)信大阿常梨が当地に一宇を建立したのが始まりと伝えられます。小田原北条氏の兵火に罹り、法印祐長(寛永18年1641年寂)が中興しました。また、玉川八十八ヶ所霊場67番、東海三十三観音霊場12番です。

大楽寺
大楽寺の概要
山号 金剛法山
院号 -
寺号 大楽寺
住所 大田区新蒲田3-4-12
本尊 阿弥陀如来
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 玉川八十八ヶ所霊場67番、東海三十三観音霊場12番、道塚神社のもと別当



大楽寺の縁起

大楽寺は、天応3年(1319)信大阿常梨が当地に一宇を建立したのが始まりと伝えられます。小田原北条氏の兵火に罹り、法印祐長(寛永18年1641年寂)が中興しました。

「大田区の寺院」による大楽寺の縁起

天応3年(1319)信大阿常梨が,高野山より関東へ下向の途次,この地に止まり,1字を建立し,阿弥陀如来を安置したのが開創と伝えられる。「新編武蔵風土記稿」の所載によれば,宝幢院末金剛山願照院と号する古き寺と伝えられるが,開山開基は不詳。境内から正和(1312-16)より応永(1394-1427)までの古碑11基が出土した,としてあるが,散逸して今はない。
なお古老の口伝として,もとは現在地より南方250m位の処に在り,小田原北条氏の頃,軍勢暗夜に此地を行軍する際,寺に火を放ち,前途を照して通ったことや,徳川2代将軍秀忠が,関ケ原よりの帰途,亡児の供養のため,寺に立寄り,仏説護諸童子陀羅尼経1巻と,若干の供養料を奉納し,葵定紋の硬用を認めたと伝える。
境内に1体の石地蔵があり,イポ地蔵と称され,毎日参詣してイボの出来ている個所をこすり,あるいは直接参詣できぬ時は,代りに小石を上げて,その石を持帰ってこすり,全快したら豆腐をお礼に上げる。この地蔵信仰習俗が,細々ながら,今も続いている。(「大田区の寺院」より)

新編武蔵風土記稿による大楽寺の縁起

大楽寺
境内除地段別6段3畝8歩。村の西の方にありて、日月宮(道塚神社)社地ののつづきなり。新義真言宗、高畑村宝幢院末、金剛山願照院と号す。ふるき寺なりと云ひ傳ふるのみにて開山開基の事詳らず。境内古木のもとより掘出せしとて、正和文保の頃の碑あり。是等によれば古き世よりの寺にてありけん。又土人の話に小田原北条家の頃、かの行軍の兵卒等暗夜にこの地をすぎて、篝もなかりしかば、此堂宇へ放火し前途を照して通りしにより、一旦甚衰へたりと、乱世のならひかかる事もありしにや。中興開山は法印祐長と云。寛永18年11月21日示寂す。客殿5間に6間。本尊阿弥陀如来の座像、4尺余なるを安ず。
観音堂。
門を入て右の方にあり。二間四方。
古碑11基。
共に境内古木のもとより出しと云。正和6年2月日、文保元年、同6年2月日、建武13年12月日、康永4年2月、貞和2年丙戌11月23日、文和□□、貞治□□、応永3年、同10年、延□3年11月等の古碑なり。(新編武蔵風土記稿より)


大楽寺の周辺図


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