大袋新田氷川神社。稲荷神社地へ遷座
大袋新田氷川神社の概要
大袋新田氷川神社は、川越市かし野台にある氷川神社です。大袋新田氷川神社は、慶長年間に小田原北条氏の浪人横山次右衛門が開発した大袋新田に鎮座、明治初期に稲荷神社が祀られていた当地へ遷座したといいます。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素盞嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 三峰・稲荷社 |
祭日 | - |
住所 | 川越市かし野台1-13 |
備考 | - |
大袋新田氷川神社の由緒
大袋新田氷川神社は、慶長年間(1596-1615)に小田原北条氏の浪人横山次右衛門が開発した大袋新田に鎮座、明治初期に稲荷神社が祀られていた当地へ遷座したといいます。
新編武蔵風土記稿による大袋新田氷川神社の由緒
(大袋新田)氷川社
村民の持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大袋新田氷川神社の由緒
氷川神社<川越市大袋新田(大袋新田字原新田)>
鎮座地大袋新田は、新河岸川流域の低地・台地に位置し、北を大袋と隣接する。大袋の地名は入間川が袋のように流れ込んでいたことに由来し、戦国期にその名が見える。慶長年間、小田原北条氏の浪人横山次右衛門が芝地を開墾して大袋村に属したことが、当地の地名の由来と伝えられる。
当社は、現大袋新田六四番地に祀っていたものを明治初期に現在地に移転したという。旧社地には現在稲荷神社があり、四軒稲荷と呼ばれ、古くから旧社地に隣接する旧家内田家四軒の氏神とされている。このことから当社の創立に内田家がかかわったことも考えられるが、その史料に欠け推測の域を出ない。『風土記稿』には「氷川社 村民の持」とのみ記す。
祭神は素盞鳴命である。一間社流造りの本殿には、高さ四〇センチメートルの石塔が納まり、「本宮氷川大明神 天保十一年三月 世話人助右衛門」と刻まれ、併せて竹の根元を材として作った蛇を安置する。
大正一〇年ごろ、大袋の白髭神社への合祀の働きかけがあったが、氏子の強い要望で行われず、今日に至っている。(「埼玉の神社」より)
大袋新田氷川神社の周辺図