善長寺。川越市豊田本にある曹洞宗寺院
善長寺の概要
曹洞宗寺院の善長寺は、豊田山と号します。善長寺は、豊田隼人(法名善長、天文元年1532年寂)を開基として、龍穏寺七世節庵良筠(天文13年1544寂)が開山したといいます。
山号 | 豊田山 |
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院号 | - |
寺号 | 善長寺 |
住所 | 川越市豊田本939 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 正観音像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善長寺の縁起
善長寺は、豊田隼人(法名善長、天文元年1532年寂)を開基として、龍穏寺七世節庵良筠(天文13年1544寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による善長寺の縁起
(豊田本村)善長寺
曹洞宗、龍ヶ谷龍穏寺の末、豊田山と號す、開山は本寺七世節庵良筠、天文十三年十月廿八日示寂、開基は豊田隼人、法名善長天文元年八月廿一日死すと、されど此人は元三州に住し、小笠原攝津守安元に屬し、御入國の時安元郡内入間川村の地を賜はりし故、家臣隼人移てここに居れり、しかるに此人の家より失火し、村内及び奥富村も此災に罹りしかば、隼人ここに居ること能ずして、當所に来りこの村を開發せし故、村名となれりなどいへど、小笠原氏の譜を案に攝津守安元は天正十七年十一月晦日三州に於て卒せしと云へば、安元の男太郎左衛門安勝御入國の後、入間川村を賜りしなるべし、然れば天文元年に死せる豊田氏の入間川に住せしと云は、其謂れ疑ふべきに似たれど、姑く傳るままを記せり、本尊正観音を客殿に安ず、正徳二年の銘をえりたる鐘を客殿の軒にかけたり。
稲荷社
白山社(新編武蔵風土記稿より)
善長寺の周辺図