誓願寺|神田白銀町に創建、関東大震災により浅草から移転
誓願寺の概要
浄土宗系単立寺院の誓願寺は、田島山と号します。誓願寺は、相州小田原誓願寺開山見誉善悦の弟子で、相州小田原誓願寺住職の住職を勤めていた東誉魯水和尚を、徳川家康が請て文禄元年(1592)に神田白銀町に創建、神田須田町への移転(慶長元年)を経て、明暦3年の大火により浅草へ移転したといいます。徳川家康、家忠の崇敬を受けた他、綱吉、桂昌院の帰依を受け、寺領400石の御朱印を拝領、別院安養寺(足立区法受寺に合併)の他数多くの塔頭(現練馬十一ヶ寺)を擁していました。関東大震災での被災を機に、当地へ移転しています。
山号 | 田島山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 誓願寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 府中市紅葉丘1-14-4 |
宗派 | 浄土宗系単立 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
誓願寺の縁起
誓願寺は、相州小田原誓願寺開山見誉善悦の弟子で、相州小田原誓願寺住職の住職を勤めていた東誉魯水和尚を、徳川家康が請て文禄元年(1592)に神田白銀町に創建、神田須田町への移転(慶長元年)を経て、明暦3年の大火により浅草へ移転したといいます。徳川家康、家忠の崇敬を受けた他、綱吉、桂昌院の帰依を受け、寺領400石の御朱印を拝領、別院安養寺(足立区法受寺に合併)の他数多くの塔頭(現練馬十一ヶ寺)を擁していました。関東大震災での被災を機に、当地へ移転しています。
御府内寺社備考による誓願寺の縁起
京都知恩院末、浅草不唱小名
田嶋山快楽院誓願寺、境内拝領地17206坪余
御朱印寺領四百石
文禄元辰年、開山東誉魯水和尚相州小田原誓願寺住職之節 神君様為上使大久保石見守殿を以江府江可引移之旨被仰付、神田白銀町江寺地被下置。結草庵、念仏誦経勤修、毎日書写六字名号四拾八幅、施郷衆、念仏広通仕候。一日 神君様御覧御鷹野御序寺地上覧、似田中嶋与被仰。依而田嶋山与称来侯。其後慶長元申年、神田須田町二而東西九拾弐間南北百三拾壱間替地被下置、且従 神君様蒙公資、仏閣僧房造営仕候。然処明暦三酉年五月十八日江府灰燼二付、当山十一世誓誉全察代、今之地江引地二相成申候節、境内壱万五百五拾六坪拝領仕。十六世用誉竜岳代、元禄九子年四月九日四千弐百六拾坪添地被下。同代元禄十六未年十一月弐千三百九拾坪添地被 仰付。都合壱万七千弐百六坪余拝領仕罷在候。
開山見蓮社東誉上人魯水齢祖和尚は相州小田原誓願寺開山見誉善悦之弟子、附法之師は飯沼弘経寺感誉上人也。慶長十二未年十二月廿九日寂。世寿六拾五、法臈四十年、姓氏未詳。
中興第七世是蓮社者誉上人嶺学和尚、元和九亥年入院住職中、
台徳院様
崇源院様御新葬并御年回御法事之毎度御法式等之指揮仕候。為御賞美寺格御内礼被 仰付、且 北丸様御書院拝領被 仰付、住職中毎月廿四日登 城御斎被下候由御座候。寛永二十未年八月五日寂。再中興十六世寂蓮社用誉上人竜岳和尚
常憲院様
桂昌院様御帰依、時々登 城又は御成先々二而 御講釈拝聴御能拝見等被 仰付、加之桂昌院様両度迄当山江被為成、寺領四百石 御朱印并常紫衣被 仰付、寺格結構被成下、御目見席御白書院内壱畳目二面御目見一束一巻献上仕候様被仰付候。元禄十一寅年本堂方丈向類焼之節、従桂昌院様御再興被成下、且仏具等は御紋井九ッ目紋付二両御寄附被成候。此代二而寺領并添地常紫衣之 綸旨等初而頂戴仕。其外莫大之規模有之候ニ付、再中興与仕。宝永七寅年十二月廿九日寂。
御朱印寺領
右は元禄九子年四月九日、十六世用誉竜岳和尚登城之上、於御白書院、依桂昌院様御願新規寺領弐百石被下之旨、土屋相模守殿被 仰渡。其後元禄十六未年十月十六日桂昌院様当寺江被為成候節、弐百石御加増被 仰付。都合四百石拝領仕候。尤両度共五捨石は安養寺可収納旨御朱印御文言二御座候。誓願寺領武蔵国橘樹郡渋口村百四拾弐石七斗九升余、矢向村之内五拾七石弐斗余、都合弐百石事、今度寄附之訖。可収納之。并寺中諸役等免除永不可有相違。但右之内五捨石者安養寺可収納者也。
元禄九年五月廿五日
誓願寺領武蔵国橘樹郡渋口村矢向村之内弐百石者元禄九年五月廿五日所充之旧領也。同国同郡駒ケ橋村矢向村之内弐百石今度新加之訖。都合四百石事全可収納。并寺中請役等免除永不可有相違。且右之内百石者安養寺可収納之者也。
元禄十六年十月廿一日
常紫衣 綸旨
武蔵国江戸浅草誓願寺
住持代々令聴着紫衣
奉祈 宝祚長久不
可混余寺者
綸命如此仍執達如件
元禄十一年七月廿九日左中弁宣顕花押
知恩院末寺
誓願寺住持用誉上人御房
勅許
ちおん院 にて 常紫衣 にて 末寺 の めて むさしの国 事 たく候 江戸
書出しは 浅草 武家の 伝奏 誓願寺 より 住持 わたされ候 かしく
本堂 十四間四方
本尊立像阿弥陀如来、安阿弥作丈三尺納宮殿秘仏ニ御座候
浅草誓願寺本尊記(中略)
洪鐘(中略)
鎮守八幡弁天稲荷合社。慶長元丙申年白銀町須田町江替地之節、則開山齢祖代勧請、一山之惣鎮守与仕候。(御府内寺社備考より)
誓願寺の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考