天満神社|南房総市高崎の神社
天満神社の概要
天満神社は、南房総市市部にある神社です。天満神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には福聚院が別当を勤め、領主酒井若狭守が深く崇敬していたと伝えられます明治9年には郷社に列格していたといいます。明治維新後の社格制定に際し明治9年郷社に列格していました。
社号 | 天満神社 |
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祭神 | 菅原道真・大山祇命・猿田彦命・埴安彦命 |
相殿 | - |
末社 | 三島神社・御霊神社・荒神社 |
祭日 | - |
住所 | 千葉県南房総市市部325 |
備考 | - |
天満神社の由緒
天満神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には福聚院が別当を勤め、領主酒井若狭守が深く崇敬していたと伝えられます明治9年には郷社に列格していたといいます。明治維新後の社格制定に際し明治9年郷社に列格していました。
「稿本千葉県誌」による天満神社の由緒
天満神社
安房郡(舊平郡)岩井村市部字天神に在り、境内六百八十一坪、菅原道真を祀る、創建年月不詳、明治九年二月郷社に列せらる、末社三座あり、明治三十九年十二月幣饌料供進指定。(「稿本千葉県誌」より)
「安房郡誌」による天満神社の由緒
天満宮(岩井村市部)
明治維新當時迄、同所福聚院に於て別當職を勤め奉りしが、明和八年八月三日仝院火災に罹り、ために記録其の他一切焼失したるを以て創立の年月不詳なりと雖も、古老の口碑によれば、領主酒井若狭守尊崇淺からず、その室の難産の砌祈願せられ、其の感應ありしを以て、寛文十二年社殿造營の上神鏡一面奉納せられたりと。明治九年丙子二月郷社に列せらる。例祭は九月二十五日なり。(「安房郡誌」より)
「千葉県神社名鑑」による天満神社の由緒
古老の口碑によれば、領主酒井若狭守の室が難産の折、当社に祈願を籠められ感応があったことにより、寛文一二年社殿造営のうえ神鏡一面奉納された。現本社奥殿はその当時のものである。明治維新前まで天台宗福聚院が別当をつとめていたが、明和八年八月三日同院の火災で記録類一切を焼失した。(「千葉県神社名鑑」より)
天満神社の周辺図