片瀬諏訪神社。養老7年に諏訪大社を勧請
片瀬諏訪神社の概要
片瀬諏訪神社は、藤沢市片瀬にある神社です。片瀬諏訪神社は、諏訪大社を勧請して養老7年(723)に創建、村岡五郎義員や源頼朝公、北条氏など歴代武家の崇敬を受けてきたといいます。片瀬の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。諏訪大社が他郷へ御分霊した中で最古の社だそうです。
社号 | 諏訪神社 |
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祭神 | 建御名方命(上社)、八坂刀売命(下社) |
相殿 | - |
境内社 | 第六天・山王・白山神社、皇大神宮 |
祭日 | 例大祭8月27日 |
住所 | 藤沢市片瀬2-21-16 |
備考 | - |
片瀬諏訪神社の由緒
片瀬諏訪神社は、諏訪大社を勧請して養老7年(723)に創建、村岡五郎義員や源頼朝公、北条氏など歴代武家の崇敬を受けてきたといいます。片瀬の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。
境内掲示による片瀬諏訪神社の由緒
長野県諏訪大社(御本社)は、上社下社から成り、古代より著名な神社として知られ、水の神 風の神、ひいては生活の根源神として崇敬されています。神名のタケは強く正しい威霊を表わし。その神威を称えて朝廷は素より、鎌倉時代には源頼朝公をはじめ、北条氏等武家の信仰が極めて篤く、次第に諏訪神社の御分霊が諸国に奉遷され、郷村の守護神又は氏神として拡まりました。
当社も御本社の御分霊が上下両社御分祀されており、御分社は全国数千社に達します。現在の御社殿は、下社が昭和十四年に、上社は昭和五十九年にそれぞれ御改築されました。
殊に上社社殿左右の脇障子の彫刻は、長野県乙事村鎮座諏訪神社(旧諏訪大社社殿-国宝指定)の彫刻を模し、飛騨高山の伝統工芸士により御神紋梶の葉が見事に施されています。上下両社を御参拝され、お諏訪様の有難い御神徳をお受け下さい。(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による片瀬諏訪神社の由緒
(片瀬村)
上下諏訪社
共に當村の鎮守とす、鎌倉路を隔て上下の兩社相對せり、例祭七月廿七日、
△末社
舟玉、金毘羅、天神、稲荷。以上、上諏訪社の末社なり、
山王、第六天、白山。以上、下諏訪の末社なり、
△池
下諏訪の社邊にあり諏訪家と呼べり
△別當玉蔵院
諏訪山と號す本山修験(小田原玉瀧坊配下)本尊不動を置く、(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による片瀬諏訪神社の由緒
当社は養老七年(七二三)三月に信濃国より諏訪大社を勧請したものであるが、これは諏訪大社が他郷へ御分霊した中で最古のものであるといわれている。
弘仁三年(八一二)大学寮・遠江伊豆の国司・大江政文が神徳を感じ、下社を字宮畑の地より鯨骨の湖畔に移して修理し、又、天長三年(八二六)村岡五郎義員が上社を諏訪ヶ谷より、字浪合の山腹に移して改修を営んだ。更に天慶三年(九四〇)五月、伊豆の守護職が両社に修理を加え、建久二年(一一九一)七月、台命に依り社領五反歩の寄進があった。承和三年(一三四七)七月には別当玉蔵院、聖護院宮に申して社殿を再建した。その後、上社は安永元年(一七七二)九月に、下社は嘉永元年(一八四八)七月に改築された。明治六年村社に列せられ、昭和十六年下社を改築、社務所を新築した。(神奈川県神社誌より)
片瀬諏訪神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌