鵠沼賀来神社。藤沢市鵠沼藤が谷の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

鵠沼賀来神社。遊行4世呑海上人が清浄光寺鎮護のため正中2年創建

鵠沼賀来神社の概要

鵠沼賀来神社は、藤沢市鵠沼藤が谷にある神社です。鵠沼賀来神社は、大給松平家6代府内藩藩(大分藩)主松平近儔が、藩領で祀られている大分賀来神社を、安永8年(1779)神田淡路町の大給家邸内に勧請したといいます。明治維新後、大給家が屋敷を構えた千駄木坂下町に明治17年遷座、相殿に稲荷大神を奉斎しています。明治19(1886)年に川越より移住した伊東将行氏は、当地鵠沼を別荘地として開発、当地一帯を所有していた大給家より、千駄木の社を譲り受けて明治38年当地へ遷座、当地区の守護として奉祀しています。

鵠沼賀来神社
鵠沼賀来神社の概要
社号 賀来神社
祭神 武内宿祢命、大雀命、岩比売命、伊邪穂別命、墨江中津命
相殿 稲荷大神
境内社 -
祭日 例大祭9月1日
住所 藤沢市鵠沼藤が谷3-10-19
備考 -



鵠沼賀来神社の由緒

鵠沼賀来神社は、大給松平家6代府内藩藩(大分藩)主松平近儔が、藩領で祀られている大分賀来神社を、安永8年(1779)神田淡路町の大給家邸内に勧請したといいます。明治維新後、大給家が屋敷を構えた千駄木坂下町に明治17年遷座、相殿に稲荷大神を奉斎しています。明治19(1886)年に川越より移住した伊東将行氏は、当地鵠沼を別荘地として開発、当地一帯を所有していた大給家より、千駄木の社を譲り受けて明治38年当地へ遷座、当地区の守護として奉祀しています。

境内掲示による鵠沼賀来神社の由緒

賀来神社の由来と御神霊
宇佐八幡宮の御分霊を戴き、九州大分県の賀来荘にて貞観11年(西暦869年)より、賀来神社(カクジンジャ)と呼ばれてか平成九年までには、既に1128年が経過しました。
その後約800年、徳川時代には三河松平家が賀来荘の藩主となりましたが、六代目の松平近濤(チカモト)は敬神の心厚く、安永九年に江戸屋敷に御分霊を祀り、社殿、拝殿、神楽堂までを建設しました。
明治時代となって、畑も人家もない荒野の鵠沼を住宅地に開発した伊東将行は、賀来神社の御神霊と、旧松平家の鳥居や灯台を文京区から鵠沼に遷座し、明治38年(1905)より、賀来神社は鵠沼住民の郷社となりました。
賀来神社には、仁徳天皇とその御一族、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五朝に奉仕した武内宿彌が祀られていましたが、徳川時代からは大国主命、塩土老翁に稲荷神社などが加わり、家業繁盛に離厄、安産、経済と技能に力を付ける十三柱の御神霊が鎮座されています。(境内掲示より)

神奈川県神社誌による鵠沼賀来神社の由緒

豊後国大分郡由原八幡宮の摂社賀来神社の御分霊を、安永八年(一七七九)江戸神田淡路町の大給家邸内に勧請鎮座したが、明治十七年四月二十二日、本郷区駒込千駄木坂下町に遷座し、相殿に稲荷大神を奉斎した。然し社地が低地で坪数少ないため、信徒の伊東将行等は子爵・大給近孝と協議の上、明治三十八年八月東京府庁の許可を得て現在地に遷座し、鵠沼別荘地の守護神として奉祀されている。
なお現在の境内地は明治三十九年九月三十日、大給近孝の寄附による三七一坪、及び同四十二年七月十日、長谷川栄の寄附による七〇坪の合計四四一坪である。
(神奈川県神社誌より)


鵠沼賀来神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 神奈川県神社誌