鳳谷山永勝寺。藤沢市本町にある浄土真宗本願寺派寺院
永勝寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の永勝寺は、鳳谷山祥瑞院と号します。永勝寺は、親鸞上人の真弟誓海が開基となり鎌倉常盤に創建、一向堂・常盤道場と称していたといいます。10世真海の代に元禄4年(1691)当地へ移転したといいます。
山号 | 鳳谷山 |
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院号 | 祥瑞院 |
寺号 | 永勝寺 |
住所 | 藤沢市本町4-4-15 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
永勝寺の縁起
永勝寺は、親鸞上人の真弟誓海が開基となり鎌倉常盤に創建、一向堂・常盤道場と称していたといいます。10世真海の代に元禄4年(1691)当地へ移転したといいます。
新編相模国風土記稿による永勝寺の縁起
(高座郡坂戸町)永勝寺
法谷山瑞祥院と號す、一向宗(京西六條本願寺末)元禄四年僧眞海起立す、本尊阿彌陀を安ず、
鐘樓(新編相模国風土記稿より)
「全国寺院名鑑」による永勝寺の縁起
貞永元年親鸞の真弟誓海が開基。もと鎌倉常盤村にあって一向堂あるいは常盤道場とも称した。爾来転々と遷山数多く倉田村に堂宇を建立、永勝寺と称しのち十世真海の時、現在地に移った。(「全国寺院名鑑」より)
永勝寺所蔵の文化財
- 永勝寺「飯盛女」の墓
- 万治二年・寛文九年庚申供養塔(市有形民俗文化財)
永勝寺「飯盛女」の墓
飯盛女とは江戸試合、宿場の旅籠屋で給仕をする女として公認されていたが、遊女としての側面ももっていた。藤沢宿大鋸町では、飯盛女のいない宿場がさびれたため、万延二年(一八六一)宿民のためとして一旅籠屋二名の飯盛女を置く許可を役人から得ている。
永勝寺に眠る小松屋の抱えた飯盛女の墓は三十九基あり、内三十八基が宝暦一一年(一七六一)から享和元年(一八〇一)まで、小松屋の墓域に建てられている。このように供養された者は少なく、借金の形まで苦界の中で身を沈めた者が多い中、小松屋の温情がしのばれる。(藤沢市教育委員会掲示より)
永勝寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「全国寺院名鑑」