三島山感応院。源実朝創建、高野山真言宗の檀林所
感応院の概要
高野山真言宗寺院の感応院は、三島山瑞光寺と号します。感応院は、源実朝が開基となり建保6年(1218)に創建、道教律師が開山したといいます。その後阿闍梨幸海が応永5年(1398)に中興、徳川家康が関東入国した際には、家康の指示により慶長14年(1609)高野山真言宗の檀林所に定められ、さらに慶安2年(1649)には寺領3石7斗の御朱印状を受領しています。

山号 | 三島山 |
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院号 | 感応院 |
寺号 | 瑞光寺 |
住所 | 藤沢市大鋸2-6-8 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
感応院の縁起
感応院は、源実朝が開基となり建保6年(1218)に創建、道教律師が開山したといいます。その後阿闍梨幸海が応永5年(1398)に中興、徳川家康が関東入国した際には、家康の指示により慶長14年(1609)高野山真言宗の檀林所に定められ、さらに慶安2年(1649)には寺領3石7斗の御朱印状を受領しています。
新編相模国風土記稿による感応院の縁起
(大鋸町)感應院
三島山瑞光寺と號す、古義眞言宗紀州高野山末、慶長十四年八月東照宮の仰に仍て檀林所の一に定めらると云ふ、開基は右府實朝にて建保六年創建す、開山は律師道教なり嘉禎二年五月廿六日寂す、其後衰微せしを應永五年阿闍梨幸海中興す、本尊は不動なり智證作、長三寸一分、慶安二年八日寺領三石七斗の御朱印を賜はれり、享保三年正月嵯峨大覺寺當院に無垢染院室の號を授けらる、
【寺寶】
地蔵畫像一幅弘法筆下同、
赤不動畫像一幅
不動畫像一幅興教筆
三島社。建久四年三月賴朝の勧請にて藤澤次郎清親奉行すと傳ふ。(新編相模国風土記稿より)
感応院の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿