池子神明社。逗子市池子の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

池子神明社。江戸時代後期より始まった神輿渡御

池子神明社の概要

池子神明社は、逗子市池子にある神明社です。池子神明社の創建年代等は不詳ながら、源頼朝公が建久3年(1192に勧請したと伝えられ、江戸期には池子村全体が英勝寺の寺領だったこともあり、(徳川家康の側室お勝の方が英勝寺を開山したことから)徳川氏の信仰が篤く、江戸時代後期には、当地で疫病が流行った際には、英勝寺から除病祈願の神輿と葵御紋の提灯が下賜され、「病封じ」の村内巡行が行われるようなったといいます。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治10年には須賀社が鎮座していた当地に遷座、また須賀社をはじめ稲荷社・六所明神・子神・春日社・神尾社・三嶋社を合祀しています。

池子神明社
池子神明社の概要
社号 神明社
祭神 大日孁貴命
相殿 須賀社、稲荷社、六所明神、子神、春日社、神尾社、三嶋社
境内社 -
祭日 例大祭7月12日前後の日曜日
住所 逗子市池子2-10-11
備考 -



池子神明社の由緒

池子神明社の創建年代等は不詳ながら、源頼朝公が建久3年(1192に勧請したと伝えられ、江戸期には池子村全体が英勝寺の寺領だったこともあり、(徳川家康の側室お勝の方が英勝寺を開山したことから)徳川氏の信仰が篤く、江戸時代後期には、当地で疫病が流行った際には、英勝寺から除病祈願の神輿と葵御紋の提灯が下賜され、「病封じ」の村内巡行が行われるようなったといいます。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治10年には須賀社が鎮座していた当地に遷座、また須賀社をはじめ稲荷社・六所明神・子神・春日社・神尾社・三嶋社を合祀しています。

新編相模国風土記稿による池子神明社の由緒

(池子村)
英勝寺の寺領だったためか記載なし(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社名鑑による池子神明社の由緒

建久三年(一一九二)源頼朝公の勧請と伝えられ、正徳三年(一七二二)に社殿の改修がなされ、文政三年(一八二〇)には将軍徳川家斉公が社殿を再興した。以来徳川氏の信仰篤く、殊に水戸・徳川家は菩提寺である鎌倉の英勝寺より人を遣わして、祭儀に参列させる事を例とされ、明治初年まで続いた。
明治六年、村社に列格。明治十年、「合祀令」により近隣の前記七社を合祀した。(神奈川県神社名鑑より)

境内掲示による池子神明社の由緒

池子神明社と神輿渡御
明治十年(一八七七)の「合祀令」(一村一社にまとめる)によって、池子村の小字にあった六社大明神(逗子高校の奥にあった)などの七社は、須賀社のあった地に「村社神明社」としてまとめられ、明治四十五年(一九一二)、新殿を建て、合祀されました。
江戸時代、池子村は鎌倉の英勝寺(徳川家康の側室お勝の方が開山)の寺領でした。
天明八年(一七八八)と天保十二年(一八四一)、池子村に「はやり病」が蔓延しましたが、そのたびに、英勝寺から除病祈願の神輿と葵御紋の提灯が下賜され、「病封じ」の村内巡行が行われるようになりました。
毎年七月、金色の金具に黒と朱塗の見事な神輿を白衣に烏帽子姿の人が担ぎ、神主、木遣り、お林の山車が続く、古式豊かな神輿渡御が行われます。
神明社の前の道は、昔は金沢街道とよばれ、金沢から池子、山の根を通って鶴岡八幡宮の脇を通り、鎌倉、藤沢方面へと続いていて、荷物を馬に引かせる商人などが多く通った道でした。(逗子市・自然の回廊プロジェクト掲示より)


池子神明社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿