沼間五霊神社。源義朝が館の鎮守として勧請
沼間五霊神社の概要
沼間五霊神社は、逗子市沼間にある五霊神社です。沼間五霊神社の創建年代等は不詳ながら、源義朝が館の鎮守として勧請したと伝えられます。五頭天王を合祀した江戸期には「村持」の社として祀られ、御霊社と称していました。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治42年に地内の熊野社・神明宮・諏訪社を合祀しています。
社号 | 五霊神社 |
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祭神 | 天手力男命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭7月18日 |
住所 | 逗子市沼間3-10-34 |
備考 | - |
沼間五霊神社の由緒
沼間五霊神社の創建年代等は不詳ながら、源義朝が館の鎮守として勧請したと伝えられます。五頭天王を合祀した江戸期には「村持」の社として祀られ、御霊社と称していました。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治42年に地内の熊野社・神明宮・諏訪社を合祀しています。
新編相模国風土記稿による沼間五霊神社の由緒
(沼間村)
熊野社
村持下同じ、
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御靈社
牛頭天王を合祀す、村持
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神明宮
諏訪社(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社名鑑による沼間五霊神社の由緒
社伝によれば、源義朝が沼間の館の鎮守として勧請したといい、境内の大銀杏(県天然記念物指定)は、義朝手植えの木という。
『相模風土記』に「御霊社牛頭天王を合祀す」とある。天保七年(一八三六)十一月書上絵図面にも「御霊社」とある。
このほかに古くは熊野大神・太神宮・諏訪明神が村内に祀られていたが、明治四十二年頃当社に合併した。社名は、明治八年田畑等反別取調野帳に「五霊社又は御霊社」とあるが、五霊神社に統一して、明治六年十二月村社に列格し、大正十年七月神饌幣帛料供進神社に指定された。(神奈川県神社名鑑より)
沼間五霊神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿