お猿畠の大切岸|石切作業場跡地
お猿畠の大切岸の概要
お猿畠の大切岸は、逗子市にある名所旧跡です。お猿畠の大切岸は、鎌倉時代に建造物を建築するための礎石を切り出していた石切作業場跡地です。800メートル以上に渡って高さ3~10メートルの断崖が築かれたように見えることから、かつては鎌倉幕府が三浦一族の攻撃に備えた防衛遺構だと考えられていました。
名称 | お猿畠の大切岸 |
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区分 | 史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 逗子市久木 |
備考 | - |
お猿畠の大切岸の由緒
お猿畠の大切岸は、鎌倉時代に建造物を建築するための礎石を切り出していた石切作業場跡地です。800メートル以上に渡って高さ3~10メートルの断崖が築かれたように見えることから、かつては鎌倉幕府が三浦一族の攻撃に備えた防衛遺構だと考えられていました。
逗子市教育委員会掲示によるお猿畠の大切岸について
お猿畠の大切岸は、長さ800m以上にわたって高さ3~10mの断崖が尾根に沿って連続する壮大な遺構です。従来、鎌倉幕府が三浦一族の攻撃に備えて鎌倉の守りを固めるため、切通の整備とあわせて築いた防衛遺構だと言われてきましたが、平成14年度の発掘調査で、大規模な石切作業の跡だということが確認されました。鎌倉では14~15世紀頃の建物基礎などの切石を大量に使用しており、ここはその頃の石材生産地だったと考えられます。なお、お猿畠という地名は、鎌倉を負われた日蓮がこの付近で三匹の白猿に助けられたという伝承に因むものです。(逗子市教育委員会掲示より)
お猿畠の大切岸の周辺図